Column

花巻東・佐藤涼平の高校野球(下)

2010.02.13

みちのく便り~心の高校野球~

 第5回高橋昌江コラム「みちのく便り」は、3日連続の特別企画でお贈りしています。
昨年の夏の甲子園大会で花巻東の二番打者として活躍した佐藤涼平選手をフォーカス。
佐藤選手にとっての高校野球を特集します。
最終日の本日(14日)は佐藤涼平選手の高校三年間頑張れた理由と今後の大学生活への思いについてです。
佐藤涼平君の高校野球で生き残ろうと必死に戦った3年間が、高校野球で生きる希望をなくしている選手に届けば幸いです。
スタッフ一同、誰か1人でもいいので、彼の言葉から勇気をもらい、高校野球をがんばってほしいと思います。

12:寮生活

【日常と練習のメリハリがある充実した時間を過ごした寮生活】

 窓の外を見ると、雪が段々と濃くなってきた。
 「大丈夫です。寮まで1分なんで」
 じゃあ、その寮の話をしよう。
「楽しくてしょうがなかったですね。1年生のときはやっぱり、それなりに大変なこともあったんですけど、最上級生とかなったら、もうみんなで食事するのが楽しくて。いつも決まっているわけじゃないんですけど、だいたい、みんな同じ時間に集まって、喋っていました。練習が例えば、終わった時間が7時だとして、8時くらいまで自主練をする人もいて、なんか知らないけど、8時半なったらみんな集まってくるみたいな感じでした」
 ご飯の時、みんなとお喋りするのが楽しく、実家を離れていても寂しくなんかなかった。だが、ちょっとホームシックなったこともある。

「1年生のときはありましたね、最初。でも、2年生になったら、逆に帰るのが面倒くさいなって思って(笑)。自分、帰るのに3時間、かかるじゃないですか。それもあって。自分たちの代、お盆休みがいつもはあるんですけど、それなくしたんですよ、自分たちで。『帰らない』って言って。1年生は帰ったんですけど、自分たちは練習するって言って。

2年生の夏、負けたので。夏の大会、ベスト8。やっぱり、それがすごい悔しくて。その時、試合に出ていたメンバーが主力で4人いたんですけど、それもあって、みんなで悔しくて、自分たちの代は勝ちたいって思いがあったので。お盆休みなくして、みんなで練習しようって。監督さんにお願いして、自分たちで練習しました」

 練習と生活でメリハリをつけた仲間関係。絆は確実に深まった。
「自分たちのチームの徹底事項、100パーセントできることをきっちりやるっていうので「元気、全力疾走、カバーリング」って3つあるんですけど、そのカバーリングをやってなかったり、遅れてできなかったりすると、やっぱり怒られます。それくらい、みんなも1つのプレーに対して絶対にミスは許さないって環境でやっていました。でも、野球が終わってからは普通に話します。どんだけきついことを練習中に言っても寮に帰ってきたら仲良しって感じでしたね。本当に練習と日常生活とメリハリつけていたので、みんなで。みんなもそういう風なんだとわかっている。信頼しきっているので、きついことを言えますし、終わってから仲良くできるっていうのもあります」

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[page_break:学校生活]

13:学校生活

【野球のことに集中した3年間をおくった】

 「もう、野球のことしか考えていなかったですね。野球を集中してやるために、授業は聞いて、寮では勉強しないって感じでした。授業をきっちり聞けば点数取れるってわかっていたので。監督さんも授業をしっかり聞けば寮で勉強しなくても点数取れるって言われていたので。テスト期間はテスト期間で勉強もしながら練習って感じですが、とりあえず、授業はかなり聞いて、寮はガーって寝る。休み時間もとにかく、寝ていますね。10分休みとか、全部寝ています。お昼は寮でお弁当作ってもらうので、それを学校に運んできてもらって、それを取って、教室で食べる。食べたら寝るっという感じでした」

 3年間、授業を聞いているか、寝ているか、野球をしているか。
「引退してやっとこう、みんなと話すようになりました。1年生が終わった後にコースの選択があってクラスが変わるので、2、3年は一緒です。自分は、教養コースで、野球部は、自分も含めて6人です」
野球をやるために、しっかり授業を聞く。休み時間は睡眠。野球にエネルギーを注ぐため、教室では蓄えていた。
「体力温存です。無駄なエネルギーを使わないっていう。野球のためにって感じでした」

 修学旅行は沖縄に行った。
「みんなと泊まり慣れていたんですけど、修学旅行は修学旅行なりにこう、野球のことを1回置いて、単純に楽しめるところだったので、楽しかったかなと思います。暖かかったんですよ、すごい。12月だったんですけど、基本的に20度ちょいくらいあったので、みんなノースリーブでいましたね。帰ってきたときは、はぁって感じでした(笑)どんだげ、さみぃんだって。まぁ、夏はくそ暑いですけど、うらやましいなと思いました。(野球道具を)持っていった人も何人かいました。自分とか荷物に余裕がなかったので(笑)持っていけなかったです」

 「文化祭は、1年生のときは学年全部でお化け屋敷やって、2年生のときはえーー、何だっけ?何か作ったんですよ、食べ物を。3年生は国体で出なかったので、そんなに。思い出としては残っていますけど、そんなに鮮明には。やっぱり、野球で思い出が多すぎたので」

 野球一色の3年間だった。

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[page_break:大学進学]

14:大学進学

【次のステージでも、目標を達成できるよう頑張る】

 高校進学で頭を悩ませてから2年ちょっと。もう、次の道を考える時がきた。
「センバツが終わってから監督さんに『進路どうする?』って言われて、『大学行きたいんですけど』って言いました。で、『お前、何になりたいんだ?』って言われて、『自分、体育教師になりたいんです』って言ったら『じゃあ、日体大にするか』って。それで『はい』って。進路はもう、母親も含めて自分も監督さんが行けって言ったところに行こうと思っていました。監督さんが『そこがいいんじゃない』って言ったら母も『どうぞ』っていう風な感じだったので」

 希望の進路も決まり、野球に集中。夏の甲子園が終わると、すぐに受験だった。
「受験は9月の5日でした。面接です。小論文は事前に書いたものを提出してって感じでした。姉が神奈川にいるので、前日、姉の家に泊まって、次の日、受験でした。合格は学校で、インターネットで見たんですよ。10時発表だったので、授業の始まり遅れますと断って、先生と一緒に見て、で、体育に行ったって感じでした」

 よりによって、体育の授業だった。

「ハハ(笑)。安心した感じがありました。たしか、バレーボールをやった気がします。自分、いっつもバレーボールしかやっていないので。バスケットかバレーって感じなんですけど、いっつもバレーボールやっています。基本的に自分、あれなんですよね。親もそうだったんですけど、1個のスポーツやらせたくなかったっていうか。サッカーとかバレーとかいろいろなのをやれっていう風な感じだったので、学校とかでみんなといろんなスポーツやっていましたね。野球は父親の影響が大きかったです。父親も高校まで野球をやっていたんですけど、ただ、途中で心臓病があって辞めざる終えない状況になって。自分は生まれて物心ついた時からいつもテレビ中継を父親と見ていました。で、野球、面白そうだなと思って。ま、父さんもやっていたし、やってみよって感じで始めました。父親も強制する人じゃなかったので、やりたいのをやればって感じでした」

 晴れて合格を手にした。
「やっぱり、続けさせてもらう以上は上を目指さなきゃいけないと思っています。とにかくまず、レギュラーを目指して頑張って、自分の中でもやっぱり補欠で終わりたくないっていうか、結果を出したいと思っているので。今まで高校で通用した力が大学で通用するかどうか試したいっていうのもありますし。そういった意味でもまたチャレンジできると思っています。高校卒業してすぐ働く人もいますし、そう考えたときに4年間、また学生として生活させてもらうので、親に感謝しなきゃいけないと思います。自分がこれからどうなりたいかって考えた時、やっぱり目標の設定の仕方を教えてもらったので、それを達成して監督さんにも恩返ししたいですし、いろんな方に感謝の心を持って、今までありがとうございましたっていう風なことを言えるようになりたいなって思っていますね」

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[page_break:大学って?]

15:大学って?

 岩手の空気で磨いてきた野球を、今度は横浜で磨く。そして、夢に向かって勉学に励む日々がもうすぐ始まる。新たな世界に飛び込む時、期待と不安が交差する想像を膨らませるものだ。

「大学生活ですか?うーーーーーん、やっぱ、あれっすね、岩手の人だけじゃない、他の県から集まる人たちと生活できるんで、いろんなことを学べるんじゃないかなと思います。あとはやっぱり、街中の、都会の感じを味わえるんじゃないかなと(笑)。ただ、怖いこともあるんですよね。あの、先輩との付き合いっていうのを…大学は高校と違って、3つ上までいるので。周りとうまくやっていけるかどうかっていうので不安はありますね」

 4つの学年が1つの組織になっていることは経験がない。真剣に勝利を目指してきた中で、今まで関わったことがない、3つ上の先輩という存在。そして、何故だか1つ上でも2つ上でも大人びて感じるものだ。

 その環境に若干の不安を抱いているが、大学野球への覚悟は決めている。
「もちろん、チームワークもあるんですけど、大学野球は個人の力が試合になった時に集まる感じですかね。

大学って、全体練習が短いじゃないですか、高校よりも。なので、その分、自由な時間ができますし、いろんなこともできるようになる。お酒やたばこも含めて、いろんな誘惑があると思うんですけど、そこで自分の芯があるかどうかで成功するとかしないとか決まると思うんです。監督さんも言っていたんですけど、監督さんの同級生でジャイアンツの古城茂幸さんという方がいるんですけど、『どんなことがあっても自分を曲げなかった』って言っていました。高校時代プロ注目で、何で行かなかったの?って選手が、そういった誘惑とかに負けて、最後の方は使い物にならなかったっていうことも言っていたので。そういうことを聞くとやっぱり、自分の意志がどれくらい強くて、周りの誘惑に負けないかということが大事になってくると思います。そういった意味でも個人っていうイメージがありますね」

自由の中での個人の意識が、今後を左右する。
「自由時間を遊びに行くか、練習するかの時点で差が出るのは決まっていることじゃないですか。そこで、自分でいかに計画性を持って出来るかが大事だと思います。一種の社会人として生活しているようなもんじゃないですか。勤務が全体練習だとして、それ以外で何をしなきゃいけないかが自分の思いとかだと思うので。そこで他の人と差を付けたいと思っているので。ここで学んだことがそっくりそのままそうなんで。大学もチームプレーですけど、やっぱり個人の意識が一番重要だと思います。目標を見失わないで、今、何をしなきゃいけないかってことを最優先に考えて、大事に生きていきたいなって思います」

花巻東で学んだことを生かすのは、この先の長い人生だと分かっている。その第一歩が大学。
「ほんと、ここに入っていなかったら今頃どうなっていたんだろうって思います」

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[page_break:がんばれた理由]

16:がんばれた理由

【佐々木監督の下、日本一を目指した三年間】

 典型的な2番バッターだった。ランナーが出たらバントで送る。ランナーがいなければセーフティバントで出塁を狙う。どこにでもいる2番バッター。狙って四球を選ぶことはなかった。
「例えば、カウント悪くて、1-3でフォアボールになったとかっていう風なのはあるんですけど、それってやっぱ、ピッチャーの責任じゃないですか。自分の役割で出たフォアボールじゃないので。そういったのしかなかったですね」
誰でもがレギュラーを目指している中で、生き残り、試合に出たい。それは、自分が目立つためではない。ある思いがあったからだ。

「中学校の時に、柏葉と笈川(裕介)と県選抜に選んでもらったんですけど、その時に、今の盛岡第三高校の柴田監督が、高校野球の監督として自分たちを教えてくださったんです。その時、『お前みたいに体の小さい子に夢と希望を与える選手になれ』って言われて、監督さんにも同じこと言われたんですよ。やっぱり、自分が小さくてもできるってことを証明したいって気持ちがあったので、どうしても試合に出たかったんです」

そこに加わった「身長は長所だ」という言葉。

「頑張るきっかけになりましたね。やっぱり、その『お前の身長が長所だ』って言われたのが、3年間頑張れた大きな言葉っていっても過言じゃないくらい、自分の中で相当、救われた一言っていうか、そういうマイナスだった部分をプラスに変える言葉だったので、その言葉は自分の中で一番大きかったなって思います」

中学生の自分を、今の自分が見ると、全く違うという。
「毎回、毎回、いろんな苦労とかあったんですけど、高校入ってから、いろんな人に支えられたから、今の自分があるっていう風なことはすごい思いますね。考え方もそうですけど、やっぱり感謝する心を持ったかなって思います。どっちかっていうと、中学校までは、やっぱ、野球は誰にも負けたくなかったんで野球ばっかりやっていたんです。『俺はうまいんだぜ』みたいに、若干思っていたので。なんていうか、親や周りの人の助言とかもあんまり聞かなかったりしていたんですけど、高校入って、それは間違っていたっていう風に思って。自分が今野球をやらせてもらっているのも、まず、この高校に入れたこと自体も親のお陰ですし、今まで応援してくださった人とか、そういった人たちのお陰であって、今があると思いました。自分がその恩返しをするためには、なかなか1件1件家を回るってこともできないと思ったので、野球で頑張っている姿を見せたいと思っていました」

甲子園で頑張る姿で感謝を伝え、成長した姿を見せたかった。
「甲子園はやっぱり、楽しかったですね。あれだけのお客さんに見てもらって野球が出来るっていうことに、感謝っていうか。甲子園ってテレビに映るので、岩手の人とかも見るじゃないですか。それが、自分が言っていた感謝を伝える場所っていうか。甲子園は感謝を伝えられる場所だと思ったので、勝ち上がるごとに岩手県民の皆様からの応援もすごく感じましたし。わざわざ岩手から甲子園まで足を運んで見に来てくださった方もいました。そういった意味で、岩手の皆さんだけじゃないんですけど、全国の高校野球ファンの皆さんがすごく花巻東を応援してくれているっていうのを肌で感じました。でも、やっぱり監督さんを日本一にしたかった。日本一になって監督さんを胴上げしたかったっていうのがあったので、そこは、悔いは残っているんですけど、でも、やっぱり今までずっと、弱小岩手っていうか、そういう風に見られていた部分もあったので、そういったのを変えるきっかけは、今年できたんじゃないかっていう風に思いますね」

日本一は名誉のためじゃない。感謝を伝えるために目指していた。グラブの刺しゅうは「恩返し」だった。
もう、佐々木監督の下で日本一を目指すことはできない。後は、後輩に託す。
「是非、達成してほしいですね。でも、いずれ岩手のチームで、花巻東じゃないかもしれないですけど、岩手のチームで日本一は出ると思っています。それが花巻東であればなおさら嬉しいですけど(笑)」

大学で教職の勉強をする予定だが、どんな先生を目指すのだろうか。
「やっぱり、ここで教わったことを中学生に教えたいって思っています。自分が中学校の時、そういう風にちょっと調子こいていた部分もあったので。そういうのじゃダメだっていうことを伝えたい。監督さんも自分の失敗から自分たちにそうなってはいけないっていう感じで自分の経験をもとに教えてくださったりするので。そして、監督さんのところに生徒を送り出して、その教え子たちが甲子園に出て、それを見に行ければなっていう風に思っています。ただ、今の3年生でも高校野球の指導者になりたいって人がいるので、岩手県内であればその人のところにも送り出したいなって思っています」
佐々木監督のところに送り出そうか、同級生のところに送り出そうか。その生徒に合った、進路を考える。大変ながらも、そんな贅沢な悩みを抱く未来はそう遠くない。

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[page_break:ヒトノワ]

17:ヒトノワ

【帽子のマークに「人ノ〇」を大切にするという意味が込められている】

コンコン。
応接室のドアの向こうに、紫色の陰がちらついた。
ガチャ、と開けたドアノブの辺りからクリクリの瞳がこちらを覗いた。目の前に立つ涼平の姿は、噂の155㎝とは思えないほど、大きく見えた。真っ直ぐで愛らしい瞳が、バットを握ると鋭く変わった。打撃について話す口調は真剣さを増し、自分が高校野球で生き残った証を一生懸命に説明する。
そして、連呼していた「でも、監督さんと松田さんのお陰です!」という言葉は高校野球を全うすることができた感謝の表れ。
自分の打撃は映像でしか見たことがないらしく、打撃写真に熱心に見入っていた。バットが手から離れると、おしゃべりな口は止まらない。会話な中から高校3年間で培った豊かな感性が滲み出ている。

高校受験をした3年前の1月。身長は153センチだった。
「卒業する3月までに2センチ伸びて155センチになったんですよ。そろそろ、くるのかなと期待して、3年後には変わらないっていう(笑)」

155㎝で入学し、155㎝で卒業しそうだ。だが、筋力が付いて、体重は増えた。スクワットは100キロいかないが、ランジは120キロでやるそうだ。背丈は大きくないが、それを思わせないくらい、体つきは逞しい。

身長の伸びはなかったが、花巻東での3年間でたくさんのことを学び、吸収していった結果、心は計り知れないくらい成長を遂げた。

「1年目は、どうしても生活に慣れるのが大変で、あまり1年生の記憶ないってくらい、本当にがむしゃらにやっていただけでした。1日1日経つのが早くて、この間、4月だったのに、今日、7月だというくらい、本当に充実していた3年間だったなって思います」

2009年、最も日本人に感動を与えたと言っても過言ではないだろう、花巻東高校
岩手の素朴な人間性が人気に火を付けた。高校生らしさに多くの日本人が共感し、そのチームが創り出す野球の虜になった。
よく「見ている人を感動させるようなプレーをしたい」という選手がいる。一生懸命な姿、真剣な姿、必死な姿、全力な姿、野球が大好きで野球を楽しんでいる姿…そして、チームが勝つために自己を犠牲にする姿。そんな姿に勝敗関係なく、見た人は心をグッとつかまれ、心が震える。

 花巻東での3年間を一言でいうと?この問いに、涼平はこう答えた。
「何ですかね?一言は難しいですけど…強いて言うなら、「わ」ですかね。ヒトノワ。人とのつながり。仲間もそうですし。これ、マーク、ヒトノワって書くんですよ」

 松田コーチからいただいた名刺に記されているマークを指差して、説明してくれた。花巻東の帽子のマークでもある。
「漢字の“人”でカタカナの“ノ”で、“〇(←ワ)”なんですよ。人ノ〇を大切にするっていう意味で作ったんですけど。それですね」

【 完 】

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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