第24回の独占インタビューは、千葉県 中央学院を卒業してアメリカ独立リーグをはじめ3カ国でプレイした倉持 学さんのお話を伺ってきました。
6年間プロ野球選手として海外でプレイ
スタッフ(以下「ス」) 早速ですが、いろいろ選択肢のある中アメリカ独立リーグを選択した理由は何ですか?
倉持さん(以下「倉」) これには私が大学1年生の夏にアメリカのシカゴ旅行をした話が関わってくるんですよ。
ス 旅行ですか?
倉 そうです。その旅行で、「俺はアメリカに住むんだ。ここで野球をするんだ。」と感じた訳です。そしてその1年後に私は、知り合いを通じてテストがあることを知らせてもらい、アメリカへ行く事を決めました。実は、大学は高校卒業後に決まっていたんですが、日本で野球はもうやりたくないと感じて、1年間プー太郎してたんですよ。
だけど結局、その1年後に大学の野球部に入部して、野球を続けていました。嫌々やっていて入部後、半年で最終的には退部するんですが、その部活動でたまたま国士舘がウィン94というチームと対戦する機会がありまして、そこでさっき言った現地の方と知り合うことになりました。ただその時はトライアウトが受からなくて、後2年大学卒業したら挑んでみようと思い、2年後に挑戦しました。
ス では、それまでどうやって鈍らないようにトレーニングを行っていたのですか?
倉 それまでは、体が鈍ってしまうのでウィン94で野球は続けていました。
ス なるほど。実際にアメリカに行く際どうやって情報を手に入れていたのですか?
倉 最初は、トライアウトテストの最終選考まで残ったんですけど、結局選考に落ちてしまったので日本に帰国したわけなんですが、その後、自ら自分のビデオと履歴書を書いて(もちろん英語です)送ってました。そうすると相手の球団からトライアウトの紹介が帰ってくるんですよ。後は、インターネットを使った情報収集ですかね。とりあえず全部自力でどうにかしましたね。でも、地理が苦手なので、これどこといった感じでしたけど(笑)後、英語も全く話せないし、全くわからなかったので・・・(笑)
ス スゴイいなぁ〜(笑)しかし、何で日本の野球を止めてアメリカの野球は挑戦したのですか?
倉 ・・・?なんででしょうね?私もわかりません(笑)でも、日本の野球が嫌いというわけではないですけどね。最初は、日本のプロ野球に入る近道だからと思っていたからアメリカだったんです。でも、学生時代は「お金を貰ってないのに何でこんなにきつい練習をしなくちゃならないんだろう」と思って、「何の為にやっているのかな」と漠然に考えるようになっていたのもありましたね。だから、どうせ野球するなら高いお金貰ってアメリカで認められて、日本のプロ選手になっても良いかなと考えた結果とも言えますね。
ス 実際アメリカの独立リーグのレベルはどのくらいですか?
倉 実際僕自身も、日本のリーグで活躍した訳じゃないので分からないですが、どうなんですかね〜。でも、まぁビックリはしましたよ。今まで大学などでやってきたのですが、大体相手のレベルは、この位だろうって予測出来ていたのですが、アメリカは予想外でした。とにかく個々のレベルが、凄いからビックリすることは沢山ありましたよ。
ス 逆にここなら日本人も負けてない。あるいは、優っているといった点はありましたか?
倉 僕の場合になってしまうのですが、スピード、守備、バットに当てる技術は、負けないなと感じていました。
ス やっぱりパワーが一番驚いた感じですか?
倉 そうですね。一番パワーの部分で驚きましたかね。本当に凄かった。ライナーの低さで、これは外野が取れるなと感じていた打球が、スタンドに入ったり良くありましたよ。
ス なるほど。では野球をやる上で困った事はなんですか?
倉 一番はジェスチャーですかね。「お前はクビだ!」の意味合いの日本のジェスチャー(首筋あたりを手できるジェスチャー)が、アメリカだと「今やっている練習を終えますよ。」の合図だったりしますからね。ジェスチャー系が一番大変でしたね。
ファンにサインをする倉持さん
ス どうして、カナダに行かれたのですか?
倉 まずは、ビザの問題です。アメリカでは、ビザが取れないからカナダにといった理由がまず第一にありました。次にちょうど僕が言った年には、カナダ全土で行われるメジャーリーグを作ろうといった動きがあり、給料も良かったので、カナダの独立リーグに移りました。
ス そうなんですか。
倉 本当に少しですけどね。
ス 実際カナダとアメリカを比べみて、野球を行う環境の違いとかあったんですか?
倉 そこまで変化は無かったですかね。外国人が多いからです。チームメンバーに必ず5人だけカナダ人が入っていれば良いというルールなので、ドミニカ、アメリカ、日本、プエルトルコ、べネズエラなど外国人選手が多かったです。試合にカナダ人のレギュラーがいない状況ですよ。(笑)だから英語使わないといった状況でした。
ス ということは、スペイン語が主に使われていたんですね?
倉 そうですね。
ス そこでも日本人のスピードは通じたのですか?
倉 通じましたね。スピードに関しては、世界一なんじゃないですか? もちろん他の国々にももの凄くスピードがある選手はいますし・・・総合的な話ですよ。
ス では、このアメリカ、カナダの野球経験で自信が着実に付いてきたわけですね?
倉 違いますよ。もともと自信があったから、挑戦したんですから(笑)やっぱり出来るといった確信に繋がりましたね。でも、その自信が今後に良くなかったですけどね。
ス その自信から日本のトライアウトは受けなかったんですか?
倉 2003年に受けました。でも、向こうでやっていく間にあんまり日本でやる興味が無くなってしまって・・・。
ス アメリカの独立リーグは、元メジャーリーガーの方々が沢山いてMLBへの復帰のチャンスを狙っている話を伺ったんですけどどうですか?また、日本にいるよりチャンスは広がるのですか?
倉 確かにメジャーリーグに入るチャンスはありますけど、アメリカでは基本的にメジャーリーガー達が、野球でまだ仕事をやりたいから降りてくるといった位置づけです。またそういった有名な選手が入るからリーグ自体が盛り上がっているという面もあるので一概にそういう訳でもないですね。独立リーグの試合にも平均10000人位のファンが押しかけますし、選手もそれなりに良い給料が貰えるといった流れです。だから、プロに上がる為の育成リーグと捉える訳ではなくて、一つの仕事と捉えてくる選手が大半ですね。もちろんチャンスがあればメジャーに戻ろうとしますけど、やはり生活出来て多少の裕福な生活は出来ますし、家族と幸せに暮らすことも野球をする事で出来ますので、僕は十分だと思った訳です。ただ、当然、ルーキーや若手(3年目ぐらいまで)の選手にとっては厳しい生活の中でのプレーになりますよ。
ス なるほど。アメリカではそういった考えの下にアメリカの独立リーグが、完備されている訳なんですね。日本の独立リーグとは少し方針が違うみたいですね。
倉 そうですね。本当に選手は、仕事といったイメージが強いですね。だから、日本で言われているような、ハンバーガーを食べて、ギリギリで生活を送るような生活とは違い、本当にプロとして生活を送っていますよ。だから、良い服着て、良い車乗ってといった生活が、出来ますから日本とは全く違うと思いますね。
ス そこまで日本には情報が来ませんよね。
倉 そうなんですよ。だから、日本に帰ってきたときに辛かったでしょ?とよく日本の方に言われるんですけど、アメリカ遠征のときは飛行機使ってましたもん。もちろんバスも使いましたけど、シーズン入ったら飛行機でしたもん。元メジャーリーガーは、自分で先に行ってレンタカーなど使ってきた選手もいましたし。
倉持さんをドイツに誘ったマットソン(元・近鉄)
ス そういった中、ドイツに行かれたわけですけど、キッカケは何かあったんですか?
倉 まず契約できるチームが無くなりました。また、アメリカのビザは取れない。カナダのチームも無くなったという関係で、どこも行けなくなって「どうしよう」という時に、元近鉄のマットソンからドイツのチームでやってみないかという話を頂いて、契約ました。マットソンが日本人好きで、日本人を取りたい日本人を取りたいということで、私を誘ってくれたわけなんです。でも、最初はそんな話何か嘘くさかったんで、ずっと保留してたんですけど、どこもチームが無くなったんで、「じゃー行ってみようかな」といった状況で行った形です。
ス ドイツの野球する環境はどうなんですか?
倉 チームが所持しているグランドはあります。活動は、月曜日休み、火、水、木曜は練習で、金曜は休みで、土曜に試合。日曜日は、2軍のコーチをそこではしてました。
ス 年間どれ位試合を行うのですか?
倉 27+プレーオフで30試合くらい。夏休みは2ヶ月くらいあるんで(笑)期間は長いですよ。 3月から10月なので。後、練習は夕方からので僕は昼間日焼けといった感じでした(笑)
ス へぇ〜。(笑)ドイツといったらサッカーを連想してしまうのですが、意外に野球も人気あるんですね?
倉 無いです(笑)全然人気ないですよ(笑)
ス でも、ドイツも独立してプロなわけですよね?
倉 いや、ドイツはアマチュアですよ。でも外国人3人だけは、給料が出るプロなんです。
ス ちなみにそのドイツのリーグは何チームあるんですか?
倉 ドイツ全体で16チームですね。8:8のリーグで争う形です。結構チームあるんですよ。
ス そんな中ドイツはどうでしたか?
倉 面白かったですよ。ヨーロッパカップもありましたし。サッカーと同じようにレギュラーシーズンもあって、カップ戦、トーナメント戦とかを勝ち上がっていくと、ヨーロッパカップがあるんです。そのヨーロッパカップでチェコに行った時の話ですが、門奈選手(元巨人)がクロアチアチーム代表でいました。凄かったですよ。他の国にも日本人はちらほらいましたけど(笑)
ス では、意外にヨーロッパ各地にもリーグが存在するわけなんですね。
倉 そうですね。良い選手沢山いますね。クロアチア、イタリア、オランダなど沢山いますね。その中でもスペインはお勧めですね。
ス ドイツはヨーロッパの中で真ん中くらいですか?
倉 そうですね。イタリア、オランダの第一グループに次ぐヨーロッパの第二グループ位ですかね。ウィンターリーグになると彼らは、南アフリカに活動の場を求めて行きますね。
ス WBCで、南アフリカなかなか強いですもんね。
倉 だから、ドイツの選手は冬場、南アフリカで野球でしている選手が多いですね。
試合前国家斉唱
ス 再びカナダに戻ったキッカケは何ですか?
倉 どこ行こうと考えている間、カナダのチームが新しい会社により復活しアメリカの独立リーグに参加する事を知り、知り合いを通じて、再び入団したのがキッカケです。最終的にカナダでは新人賞、オールスターベスト9にも選ばれましたし。
ス 今まで活動してきた経歴があるのにも関わらず何故新人なのですか?
倉 ヨーロッパでのプレーは、カナダでは辞めたという扱いになるみたいで、だから新人賞に選ばれました。
倉 基本的に気持ちは辛いですよ。言いたいことが言葉が伝えられないからコミュニケーション取れないですし。聞くことはすぐ出来ると思います。でも、言いたいことが言えないのはつらいですね。だから、それに負けない強い心が必要だと思いますね。何か言われても、(英語で)全部反論出来ませんからね。食事とかも連れて行ってもらえませんよ、仲良くならない限り。仲良くなるのも試合で活躍して、初めて認めらてからです。「日本食でも食いに行こうぜと。」誘ってもらえるようになりますね。結果出さないと本当に馬鹿にされますからね。
ス そういう事はしっかり認識していかないということですよね。
倉 そうですね。またいじめもありますよ。(笑)でも、チャンスは日本よりかなり沢山ありますからね。やるかやらないかですからね。(笑)
倉 続けることが大事だと思うので、是非最後まで続けて頑張ってください。
ス 今まで、色々な興味あるお話をお聞きすることが出来ましたが、正直相当の行動力が伴ってくると思います。実際チームに入ることも大変だと思いますしね。
倉 そうですね。物凄く大変ですよ。僕もメジャーを含めてアメリカで最初トライアウト受けましたけど、27チームも落ちました。 2月1日にアメリカに行って、2ヶ月間で27チーム落ちましたからね。大変ですよ。それで、最後の一回でスカウト会社が主催しているトライアウトで受かって、そこから再び各球団に気に入られなくちゃならなかったので、相当大変でした。
ス そういった意味ではアリゾナウィンターリーグはスカウトに試合でのプレーを見てもらえるのでチャンスなんですね?
倉 そうです。これは、チャンスですよ。まず、試合を見てもらう事自体がかなりハードル高い事だからです。たいていダッシュ、ノック、バッティングの1次テストで半分以上が落ちます。約300人が150人以下になりますね。それで、いくつかのテストをクリアして、最後の試合になると相当大変です。だから、これはおススメなんですよね。試合に出れますし、十分にチャンスありますからね。
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