東北楽天ゴールデンイーグルス 川岸強選手
第21回東北楽天ゴールデンイーグルス 川岸強選手 2008年10月16日
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三共スポーツ presents 独占インタビュー
今回の独占インタビューは東北楽天ゴールデンイーグルスの川岸強投手です。
高校時代の思い出、そして本人が現在使われている「SURE PLAY」のグラブについてもお話をお伺いしてきました。
桐蔭学園高校時代
スタッフ(以下「ス」) 桐蔭学園高校に入学したきっかけは?
川岸投手(以下「川」) 中学時代、友達のお父さんが桐蔭の監督と知り合いだったということもあり、セレクションを受けさせて頂きました。その後、他に何校か推薦を頂きましたが、将来のことも考えて、県内でも進学率のいい桐蔭を選びました。自分からセレクションを受けに行ったのが桐蔭だけだったということもありますけど。
ス 中学はあまり強いチームではなかったという話なのですが。
川 まあ、そんなに強いチームではなかったのですが、僕自身野球が好きな気持ちは誰にも負けないと思っていたし、練習も1人でかなりやっていましたからね。だから、桐蔭に入学してもそんなに周りのレベルには驚きませんでした。むしろ、寮で生活しながら、野球漬けの毎日を過ごせることが幸せでしたね。
ス やっと本格的に野球ができる喜びを感じていたわけですね。
川 そうですね。寮生活できない学校は選択肢に無かったですね。寮に入って野球だけしようと思っていましたから。ですから、最初は強豪の桐蔭学園で野球ができるということで、希望に満ち溢れていましたね。
ス なるほど。印象に残っている練習などありますか?
川 どんな練習もそれほどきついとは思いませんでしたね。ただ高校時代は本当に野球しかしていませんでした。1週間に1回コンビニ行くぐらいで、外にも出ていなかったし。テレビも見ないで、朝から晩まで野球でした。
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ス 高校時代は背番号8で甲子園出場しましたよね?
川 高2の夏は背番号11でしたが、予選の時は(チームで)一番試合で投げていました。それで、高2の秋に優勝候補のチームのエースとして登板したのですが、準決勝の横浜商業戦で僕が打たれて、ファースト守っていた浅井(現 阪神)が投げるときっちり抑えるわけですよ。それでピッチャーがまた僕に変わると打たれてしまう・・・さらに守備でもエラーをしてしまい、チャンスでも打てなくて、結局その試合は完全に僕のせいで負けてしまいました。その試合の夜には監督に呼ばれて「お前はピッチャーとしては通用しないから、外野手になりなさい。」と言われましたね。それで春の関東大会の準決勝・決勝ってダブルヘッターじゃないですか。だから、準決勝投げるピッチャーがいないという事になって途中から投げて、その試合は勝ちました。もうピッチャーだという気持ちがそれほどなかったので、プレッシャーを感じるわけでもなく、軽い気持ちで投げました。サイドスローに変えたのも去年の秋以降ですからね。すると決勝は秋とは逆で浅井(現 阪神)が打たれて、僕が抑えるという展開になったんですよ。
ス サイドスローにしたきっかけは?
川 1つ上の先輩がスリークォーターまたはサイドスローで投げていたのでそれを真似しました。誰に命令されたわけでもなく腕を下げてみました。
ス その後、駒大に進学されるわけですが、高校時代これをやっておいたから後で通用したと思う練習は?
川 そうですね〜。。。桐蔭の野球は奥が深かったと思います。野球ノートというのがあって、毎日書いていました。この場合はこういうセオリーというのを叩き込んでいましたね。だから大学行っても、自分は周りの選手よりも野球を知っているなあと実感しました。いまでも家に3年間書き続けたノートがありますよ。でも練習後の眠い状態で書いていたので、いま読み返しても何を書いているのかわからないところもありますが。(笑)
ス 野球ノートを毎日書くことも、現役の球児には必要なことかもしれませんね。
川 そうですね。毎朝、強制で提出でした。それを監督が読んで、たまに気になったことを一言書いてくれましたね。ずっと財産にしています。書いて自分で反省することは本当に大事なことだと思っています。いまでも特にキャンプ中は気になったことを書き留めていますけど。
ス では、高校野球の最大の思い出は?
川 夏の県大会の決勝にはたぶん横浜が上がってくるだろうと思っていました。横浜には松坂(当時高2)がいたんで。でも結局秋の因縁の相手、横浜商業が横浜に勝って決勝まで上がってきました。秋にピッチャーをやめさせられたその因縁の相手に借りを返さなければいけないと思いましたね。結局、その相手に決勝で完投し、甲子園に行くことができました。それが1番の思い出です。
プロ野球について
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ス プロに入って心がけていることは?
川 プロの世界は、結果が全て。もちろん、高校野球も負けたら終わってしまうわけですよ。今、僕が心がけているのは駄目だった時にどういう思いでいられるかということです。あの時弱気だったなとか、あの時こうしておけばよかったなとか、そういう後悔は絶対したくない。攻めまくってだめだったら僕は仕方ないと思っています。周りから見ても、あいつはあれだけ気持ちで向っていって打たれたなら仕方ないなと言ってくれるようなピッチングをするように心がけています。
ス 周りも納得してくれるようなピッチングがしたいということですね。
川 そうですね。まあ、(周りが納得したかどうかは)自分が決めることではないですけど・・・わかるじゃないですか、ピッチャーがビビっているのとか、逃げているのって、顔にも出ますし。だからフォアボールとかは出さないようにしているし、打たれても向っていくっていうのをかなり心がけていますね。
ス 高校野球を見ていても、メンタルから崩れる投手は結構います。川岸投手自身、メンタル強化のために、やっていることはありますか?
川 僕の場合は家族が精神的な支えになっていますね。仕事で野球をやっていますので、奥さんと子供のために飯を食わしていかなければなりませんからね、一家の亭主が逃げてられるかっていう気持ちです。高校、大学、社会人の頃はただ負けたくないという気持ちでやっていましたが、プロはやはり責任の重さが違います。
ス なるほど。そこがプロとアマの大きな違いになんですね。
川 そうですね。アマチュアだと、負けても職は失いませんから。
用具について
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ス 現在、川岸投手はSURE PLAYのグラブを使用していますが、いつ頃から使われたのですか?
川 大学1年生の時からです。
ス SURE PLAYのグラブを使うきっかけは?
川 大学1年生の時に、先輩から勧められたのがきっかけです。そして自分には合っていたので使い始めました。また人と同じのが嫌いだったので。それ以来SURE PLAYのグラブしか使っていませんね。
ス なるほど。
川 このグラブを使って10年近くになりますけど、担当者の方にいつも同じ型で作ってもらっています。昔から使っているこの型は非常に使いやすいですし、これからもこの型を変えるつもりはありませんね。
ス 変えないのが、拘りということでしょうか?
川 そうかもしれませんね。ちなみに僕は楽天のSURE PLAY第1号なんですよ!!他球団では横浜の鈴木尚さんやオリックスの小瀬君などいますけど、東北地区代表としてもっと、頑張ってSURE PLAYをアピールしないといけないですね。(笑)
高校球児へのメッセージ
ス 最後に頑張っている球児にメッセージをお願いします。
川 新チームになった時は、みんなにチャンスがあると思うんですよ。僕もそうだったんですけど、1番目立ってやろうとかエースになってやろうとかそういう気持ちが1番強い奴がチームで活躍できると思います。ですから、人に負けない気持ちで練習していけば主役になれるのではないのでしょうか。
ス お忙しいところ、どうもありがとうございました。