【小関順二がストップウォッチで有力選手を分析!】古豪・桐蔭(和歌山)の意地
甲子園が開幕して100年を迎える第87回選抜高等学校野球大会。そんな歴史に飾るにふさわしいのが桐蔭である。いつもストップウオッチの観点から選手を分析する小関順二氏ですが、今回は歴史的な観点から桐蔭の戦いぶりを追う!
日本の高校野球屈指の伝統を持つ桐蔭
桐蔭は1879(明治12)年に和歌山中学校として開校した。同校に野球が伝えられたのは早稲田大学野球部の創部より4年早い1897(明治30)年で、正式に野球部が創部されたのはそれより6年後の1903(明治36)年。これらのことから和歌山中学(桐蔭高校)が屈指の伝統を持つ古豪だということがわかる。
中等野球(現在の高校野球)草創期には黄金時代を築いている。1921~22(大正10~11)年夏に行われた第7、8回全国中等学校野球大会(以下選手権)を連覇、さらに1927(昭和2)年の全国選抜中等学校野球大会(以下選抜大会)に優勝し、当時の中等野球界に和歌山中学の名は燦然と輝いた。1948(昭和23)年に校名が桐蔭高校と改められてからも強豪校として君臨し、この年の選手権に準優勝。さらに13年後の1961(昭和36)年夏の選手権でも準優勝を果たし、古豪復活を強く印象づけた。
しかし、私立が台頭する時代にあって、公立がそれに伍して戦うには施設面の充実などで不利な状況が多すぎた。1962(昭和37)年の選抜大会、1986(昭和61)年の選手権出場を最後に甲子園への道は閉ざされた。それが今選抜では21世紀枠での出場を果たした。最も評価されたのは「文武両道の実践」だが、夏の選手権から100年目という節目を迎えるに当り、高校野球の草創期を支えた伝統校を選出したいという空気があったことも否めない。ちなみに、主なOBには野球殿堂入りしている井口新次郎、小川正太郎、西本幸雄がいる。
この桐蔭が選抜大会2年連続14回目の出場を誇る強豪、今治西にどう立ち向かっていくのか興味はこの一点に絞られたが、健闘したと言っていい。
2点リードされた2回裏には二塁打と四球、暴投で作った無死一、三塁のチャンスに7番林大裕(3年)がセンター前にタイムリーを放ち1点差、さらに9番打者の内野ゴロで1点を加え同点にする。点を取ったら取り返すスリリングな展開がその後も続き8回終了時点でスコアは4対7と3点差。9回表に4つの四球と投手の暴投などで決定的とも言える4点を奪われスコアは4対11と開くが、9回には打者9人を送る猛攻で3点を返し、古豪の意地は十分見せた。
[page_break:今治西のスラッガー・藤原睦来の打棒]今治西のスラッガー・藤原睦来の打棒
今治西に目を移すと、試合前に私が興味を持ったのがエース・杉内洸貴(3年)のピッチングだった。参加32校のエース中、与四死球率1.66は第5位に相当する。しかし、大舞台に緊張したのかこの日は8回3分の2を投げて与四死球9という乱調ぶり。与四死球率は何と9.35まで跳ね上がった。
この杉内をバットで支えたのが4番藤原睦来(3年)だった。183センチ、83キロという大柄にもかかわらず、バッティングには実に細やかな配慮が見られた。ゆっくり、じっくり始動してステップに向かい、この小さな振幅にも関わらず盤石なトップを作れるというところが藤原の非凡なところである。
第1打席はストレートを軽く合わせてライト前に強烈な打球のタイムリーを放ち、第2打席は外角低めの変化球をコンパクトなスイングで捉えてレフト線へ運ぶタイムリー二塁打、第3打席はレフト線へ単打かなという打球を俊足で二塁打にし、9回に頭部への死球でベンチに下がったが4打数3安打2打点という成績はさすが名門・今治西の4番を張るだけのことはあると感心させられた。
今治西の2回戦の相手は米子北を14対1で撃退した常総学院。バッテリーは常総学院の1、2番打者の足を封じることが最大のポイント、攻撃陣は変化球主体で米子北を翻弄した左腕・鈴木昭汰(3年)をどう攻略していくかがポイントになる。他校にくらべ左打者が少ない打線が追い風になりそうだ。
(文:小関順二)
今治西:杉内、吉本-安藤悠
桐 蔭:伊澤、西-林
二塁打:山内、藤原2、高尾(今)、橋中2、鶴我(桐)
三塁打:山内(今)