全国制覇するには最低3人以上の投手が必要…智辯和歌山、東海大相模から学べること
左から左から武元 一輝、塩路柊季、中西聖輝、伊藤大稀、高橋令
500球の球数制限が導入されたことで、ほぼ1人で投げ抜くチームは激減したといっていい。よく複数投手制が大事ときくが、具体的に「全国大会では勝つには何人必要なのか」をあまり議論されたことがない。今回は過去の優勝チーム、決勝進出のチームから見て検証を行った。
すると、タイトルにもあるように、最低でも「3人」は必要という結論にいきついた。
【智辯和歌山】
5投手登板
2回以上登板 4投手
智辯和歌山はぐうの音が出ないほどの完璧な投手運用だった。
24日が初戦となったが、エース・中西 聖輝が145球、そして伊藤大稀が記録上、「1球セーブ」を達成。投手運用という観点で大きかったのは準々決勝の石見智翠館戦。2年生右腕の塩路 柊季が6回、80球、無失点の快投。3年生左腕・高橋 令、148キロ右腕・武元 一輝が甲子園のマウンドを経験し、いわゆる主力格の中西、伊藤の温存に成功し、中西を中3日、伊藤を中4日で迎えることができた。
140キロ後半の速球を連発していた中西、140キロ台の速球を投げ込んでいた伊藤も甲子園では本調子ではなかったように見えたが、それでも、こうした運用があったからこそ、試合を作ることができ、故障せず終えることができたといえる。
智辯和歌山は高嶋監督時代から複数投手制を敷いていたが、それでも、よくここまでの投手を1年間かけて準備できたといえる。
智辯和歌山は少数精鋭の部活動だが、こうやって多くの投手を伸ばして、さらにも登板をさせて結果を残す。もともとレベルが高い選手が入る名門校だが、こうしたチームマネジメントが認知されて、数年後、どんな投手が入るか興味深い。
京本 眞(明豊)、石田 隼都(東海大相模)
【東海大相模】
東海大相模の投手起用も絶妙だった。初戦の先発は石川 永稀、2回戦では求 航太郎、準々決勝、準決勝では石田隼都が先発。決勝戦では石川だった。計3投手が先発。夏の大会では準々決勝前に辞退してしまったが、完投なし。必ず2投手以上の継投リレーを使っていた。1人の投手に頼らない形ができていた。原俊介新監督の体制になって、どんな投手起用になるのか興味深い。
『センバツの起用』
1回戦 東海大甲府 3月20日
石川永稀/player] 104球
[player]石田隼都 52球
2回戦 鳥取城北 3月26日
準々決勝 福岡大大濠 3月29日
石田隼都 116球
準決勝 天理 3月31日
石田隼都 122球
決勝 明豊 4月1日
惜しくも夏の甲子園では1回戦負けを喫したが、明豊は継投策を徹底するチームだ。
【明豊】
1回戦 東播磨 3月22日
京本 眞 47球
太田 虎次朗 64球
財原 光優 102球
2回戦 市立和歌山 3月26日
準々決勝 智辯学園 3月29日
準決勝 中京大中京 3月31日
決勝 東海大相模 4月1日
夏の甲子園1回戦 専大松戸戦 8月16日
京本 眞 66球
財原 光優 40球
太田 虎次朗 21球
森山 塁 22球
全国大会ではいずれも継投策となっている。21年のセンバツ前から継投策を積極的に行うチームで、明豊の川崎監督は投手のみならず野手も多く起用し、全員野球を実践する方だ。今後も全国舞台に出た時、どんな野球を見せるか楽しみだ。
3投手を使った起用で有名なのは柿木 蓮(北海道日本ハム)、根尾 昂(中日)、横川凱(巨人)で乗り切った18年の大阪桐蔭や、19年の星稜も奥川恭伸が注目されていたが、3年生左腕・寺沢 孝多(近畿大)、2年生右腕・荻原吟哉(亜細亜大)がいた。
相手、状況に応じて先発できる投手、中継ぎ投手ができる投手が1人でも多ければ多いほど、そのチームの絶対的なエースの負担を減らせることができる。
準優勝した智辯学園、ベスト4の近江も2人の投手リレーだった。両校の投手陣の働きも申し分ないものだったが、6試合行った智弁学園、さらに短期間で「5.5試合」を行った近江、2人だと負担が大きくなってもおかしくない。
甲子園は地方大会と違ってコールドゲームがない。先を見てはいけないというが、やはり球数制限がある以上、どの試合にメイン投手の球数を割くのかという考えはとても大事であり、今後の甲子園はそういった戦いになると思う。はっきりいえば頭脳戦。新たな甲子園の楽しみ方が見えてくると思う。
そしてこの夏、雨天順延が相次ぎ、継続試合の検討というニュースが話題となった。今回、ノーゲームを経験した近江投手陣の疲労具合を見ると、入れざるを得ないと考える。
優れた投手起用は全国制覇するための一条件。優勝するには打撃、守備、走塁すべてにおいて高レベルでなければならない。それだけ高校野球のレベルは上がっている証拠であり、個人のレベルアップの次は、チームマネジメントのレベルアップが今後の野球界の発展につながるといえる。
(記事:河嶋 宗一)