粘り合い、我慢の仕合いの延長12回、加藤学園が一発で決着



延長12回、決勝の2ランを放って嬉しいホームインの加藤学園・佐野君

 昨年は、センバツ大会に春夏通じて初めての出場を果たした加藤学園。しかし、新型コロナの感染拡大によって大会は中止。甲子園出場は幻になってしまったが、それでもその後の夏に開催された甲子園交流試合で鹿児島城西と対戦。公式ではないものの、甲子園初勝利を果たした。近年躍進著しい新鋭校だが、今年のチームも安定した力を示してまずは東部地区を順調に勝ち上がってきている。

 その加藤学園に対する富士は、1979(昭和54)年夏と1987(昭和62)年春に甲子園出場を果たしたという実績がある。県東部の進学校であるが、この春は私学の強豪知徳を下すなどしてここまで進出してきて加藤学園に挑むという形になった。

 初回にお互いに長打絡みで1点ずつを取り合った形で試合は始まった。

 加藤学園は一死後二塁打の佐野君を3番植田君が中前打で帰す。その裏、富士は失策の走者を盗塁で進めて二塁に置いて、4番平田君が左越二塁打して迎え入れる。そしてそのまま1対1で試合は後半に突入していく。

 6回、加藤学園は先頭の3番植田君が左翼フェンス直撃の三塁打を放つと4番稲葉君の内野ゴロの間に本塁へ帰る。さらに、杉本君と雨宮君の連打で一三塁として、代打吉田君の中犠飛で突き放す。

 しかし、富士もしぶとい。その裏、四球と盗塁で二塁へ進んでいた藤曲君を山下君が右前打で帰して1点差。さらに7回にも一死から6番芦沢君が三遊間を破って出塁するときっちりバントで送り二死二塁とする。ここで8番遠野君が左前打で二塁走者を帰して再び同点。粘り強さを示した。

 9回は、ともに先頭打者が二塁打で出たものの、その後を富士の平田君、加藤学園の2人目石山君の両投手が踏ん張って投げ切り、試合は延長戦に突入した。

 富士はエースで4番の平田君が投げ続けるが、加藤学園は10回に代打が出た関係もあって米山学監督は、3人目の白岩君を送り出した。富士は、9番の吉村君がさんざんファウルで粘って四球を選ぶなどしたが、白岩君も踏ん張った。どちらも、攻撃面ではもう一つ決め手を欠いていると言ってしまえばそれまでかもしれないけれども、それよりも富士の平田君、加藤学園の3人の投手の踏ん張りが効いていたと言っていいだろう。

 再び膠着した試合は、もしかしたらタイブレークになっていくのかとも思われた。ところが12回に試合は動く。この回加藤学園は、先頭の9番水田君が一二塁間を破って出ると、太田君がきっちり送る。そして2番佐野君は、一発長打力があるが、まさにツボと言っていい内側高目に入った好球を叩くと、右翼スタンドに飛び込む2ランとなった。

 均衡を破る一発となったが、富士の久保田逹也監督はここで、これまで好投してきた平田君から2番手として10番の左腕吉川君を送り出した。しかし、勢いづいた加藤学園は、さらに一死満塁として、内野ゴロで1点を追加した。そして、その裏を白岩君は3人で抑えて加藤学園は苦しみながらも県大会へ向けていい仕上がりぶりを示した。

 米山監督は、「接戦をどうモノにできるかというのは、このチームのずっと課題だったので、こういう苦しい試合を延長で勝てたことはよかったと思います。もちろん、反省点も多くありました。相手は出た走者を二塁へ進めて、そこでタイムリーで帰せるのにうちはそこで一本が出ないなど、集中力の差を見せられました。自分との勝負で負けないようにと言うことです」と、反省点をあげながらも、気持ちが折れずに何とか競り勝てたことを喜んでいた。

 また、先発した岩間君に関しては、「丁寧によく投げた」と評価していた。岩山君に関しても、「2年生だけれども、気持ちを前面に出してよく投げた」と力投を称えた。そして、3人目として託された白岩君も1四球は与えたものの、3イニングを無安打に抑える好投だった。

 最後は力尽きたという感じの富士だったが、平田君を投打の軸としてチームは、久保田監督がしっかりと作ったチームだなと言う印象だった。県大会には進出できるので、この先の戦いも楽しみなチームである。

(取材=手束 仁