代打で登場し右前ヒットを放つ沖縄尚学・知花

同級生が胸を貸してくれた

<練習試合:沖縄尚学7-6松山聖陵>◇8日◇石川球場(エナジックスタジアム)

 1999年の選抜高校野球大会で、沖縄尚学が春夏通じて、沖縄県勢初の甲子園優勝を果たした。そのチームの不動の1番が荷川取・現松山聖陵監督。そしてエースが比嘉・現沖縄尚学監督だった。同級生である荷川取監督が、沖縄尚学に胸を貸してくれたのが、比嘉監督にとっても嬉しかったに違いない(とはいえ、この日の比嘉監督は所用で試合に来られなかったが…)。

 沖縄尚学は、課題であるエース東恩納 蒼投手(3年)に続く投手を探るべく投手陣を起用。そこに容赦なく松山聖陵(愛媛)打線が打ち込んでいくゲーム展開となっていった。

あっという間に先制した松山聖陵。すぐに取り返す沖縄尚学

 1回表松山聖陵の攻撃。1死後、2番狩俣 宏箕外野手(2年)が左前へのヒットで出塁すると、3番金城 栄力(3年)が四球を選ぶ。ここで4番池田 敦貴内野手(3年)が犠打を決めそれぞれ進塁すると、5番林 楓太外野手(3年)が見事、中前適時打を弾き返して先制した。林が一、二塁間に挟まれると、三走はチャンスを伺う。沖縄尚学内野陣の目配せも光ったが、一瞬の隙をついた金城栄が生還し2点目を挙げた。

 追い掛ける沖縄尚学はその裏、1番大城 龍紀内野手(3年)が高々とすくい上げると、打球がそのまま右中間に飛び込む先頭打者アーチとなった。その後1死一、二塁から5番川満 渚生内野手(3年)が中前へ運ぶ適時打を放って、すかさず同点とした。

突き放した沖縄尚学だが、松山聖陵が追い上げる

 その後、松山聖陵が2回に2死二塁、3回には無死一塁でクリーンアップとチャンスをつかむも、沖縄尚学先発の儀部 皓太朗投手(3年)があと1点を許さない。対する沖縄尚学も4回に無死一、二塁とするが、松山聖陵先発の菅 拓翔投手(3年)と吉富 瞳流捕手(3年)のバッテリーが相手の犠打失敗を誘うなど、粘り強く対応した。

 5回表、松山聖陵は9番の菅がレフトへの大きな当たりを放つ。風が邪魔したか、左翼手が差し出したグラブの僅か上を行き、菅は一気に三塁へ。ここで1番成川 龍馬が強攻。二塁手への強襲適時打で三走が生還した。

 しかし、沖縄尚学はその裏、3番石川 純平内野手(3年)と4番仲田 侑仁内野手(3年)が連続左前安打で出塁。いずれも初球打ちと積極性が光った。続く川満の当たりはフラフラと上がるも二塁手、中堅手、右翼手の間に落ちるラッキーな当たり。もちろん走れない一走は二塁でアウトになったが、二走は悠々と三塁へ。このチャンスにベンチスタートだった知花 慎之助外野手(3年)が代打で登場。ベンチの期待に見事応える右前への同点適時打を放った。なおも1死一、三塁から當銘 雄人外野手(3年)が四球を選んで満塁に。

 ここで松山聖陵は菅を諦め、秋のエース格・親川 聖依投手(3年)を投入。8番大城 和平捕手(3年)が押し出し四球を選ぶと、ここでも代打を使い中里 大輔外野手(3年)を打席へ。大きくすくい上げた打球は、懸命に追う中堅手の頭上を越え、ワンバウンドでバックスクリーンへ。エンタイトル2点適時二塁打で沖縄尚学が一挙に3点をたたき出した。

 だが、甲子園出場校とはいえエースが投げているわけではないチームを相手に簡単に引き下がる松山聖陵ではない。7回、1死一塁から成川が左中間への適時二塁打。2番狩俣も、遊撃手への強襲打で、二塁から成川が一気に生還した。さらに9回表、二塁に走者を置いてまたも成川が適時打を放ち1点差。なおも1死一、二塁で4番池田に繋げたが、最後は沖縄尚学サウスポー上原 秀介投手(3年)が併殺打に斬りゲームセット。

 点を取られても取り返す、九州大会での長所を見せられる打線は心強い。東恩納の仕上がりが万全なら、センバツ初戦の相手と決まった岐阜の強豪・大垣日大相手でも、十分戦えると思わせた一戦であった。

(取材=當山 雅通

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