2020年03月06日 鴨池市民球場

東京大vs鹿児島大

2020年 大学野球練習試合(交流試合)・春 練習試合
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鹿児島発 球道夢限 政純一郎

「野球の名付け親」中馬氏偲び熱戦。東京大と鹿児島大が交流試合



東京大と鹿児島大の熱誠の模様

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 野球の名づけ親・中馬庚氏を偲んで、中馬氏にゆかりのある東京大と鹿児島大の交流戦が3月6日、中馬氏の胸像がある鹿児島市の鴨池市民球場であった。

 鹿児島市出身の中馬氏がベースボールを「野球」と翻訳したのが1895年。「野球」が誕生して今年が125周年に当たることから、中馬氏にゆかりのある両校の交流戦が実現した。

 中馬氏は東京大の前身・第一高等学校、東京帝国大で選手、指導者として活躍。鹿児島大の源流でもある県立中学造士館や、鹿児島第一中学(現・鶴丸)、第二中学(現・甲南)で教鞭をとったことがある。また今年が鹿児島大の創立70周年、東京大野球部の創部100周年とも重なった。

 明治期に西洋から様々なスポーツが日本に入ってきて、日本語の訳語(サッカー=蹴球、バスケットボール=籠球など)が作られたが、一般名詞に定着したのは野球だけ。実行委員会の武隈晃委員長は「日本の近代スポーツ文化の中心を担った『野球』を生み出した鹿児島出身の中馬先生の偉業を、今野球をやっている学生たちにも感じてもらいたかった」と企画への想いを語った。

 試合は「ザ・学生野球」と呼びたくなるような、1点を争う引き締まった好ゲームだった。

 鹿児島大・帖佐竜聖(4年・川内)、東京大・井澤 駿介札幌南・2年)、両先発右腕の好投が両者に守備のリズムを作った。
 先制したのは東京大。2回表に一死一二塁として8番・大音周平(湘南・3年)が変化球にタイミングを崩されながらも左中間を抜く技ありの二塁打で先制した。



握手を交わす石井友裕主将(鹿児島大)と笠原健吾主将(東京大)

 その後は両者互いにチャンスを作るも、得点がなかなか奪えない。特に完投した帖佐の好投は目覚ましく、後半の6、8回と先頭打者を出しながらも、捕手・重久陽彦(2年・川内)の好判断などでピンチをしのぎ続けていた。

 だが鹿児島大打線が好投の帖佐をなかなか援護できない。6回以降は先頭打者を出して押し気味に試合を進めるも、東京大の小刻みな継投の前にあと1本がでないまま終盤へ。

 9回表、東京大は二死三塁から途中出場の9番・浦田晃佑(2年・金沢泉丘)がセンター前タイムリーを放って待望の追加点を得る。最後は4番手で上がった松田悠希(4年・開成)が反撃をしのぎ、2対0の完封リレーで東京大に軍配が上がった。

 鹿児島大の石井友裕主将(4年・甲南)は「野球という言葉の縁で、遠く離れた東京大との縁ができたことを感謝したい」と感想を語った。

 東京大の武隈 光希(4年)、鹿児島大の山田拓人(3年)は鶴丸の同級生。高校時代に甲子園を目指した球場で、武隈は「勝てて良かった。かつてのチームメートと真剣勝負ができて楽しかった」という。無安打に終わったが第1打席で四球を選び、先制のホームを踏んだ。「歴史ある野球部の一員として試合ができたことが光栄だった」と感想を語った。

 ライトで守りながら「(武隈が)良い選手になったなぁ」と感じた山田だったが、力及ばず敗れたことを悔しがる。3四球を選びながらもホームに帰れなかった。「もっと勝負強さを磨いていきたい」とこれから始まる春のリーグ戦に向けての闘志を新たにしていた。かつてのチームメートと真剣勝負ができたのも鹿児島出身の中馬氏が「野球」と名付けたのが縁。「歴史の重みを感じた」貴重な一日でもあった。

(取材・写真=政 純一郎

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