関東学院vs相模原
1年生北村が完投勝利
メンバー表を見ると、20名すべてが関東学院中の出身。中高一貫教育を掲げ、高校から入学する生徒はゼロに等しい。
そのため、高校が勝つには、中学の野球部が強くなる必要がある。それが一昨年(=現在の高校2年生世代)から、中学で結果を残すようになり、昨年は秋春の横浜市大会、春の神奈川県大会と、主要3タイトルを獲得し、学校として初めて全日本少年軟式野球大会に出場した。
この日の先発バッテリーは、北村和也と田中壱規の1年生コンビ。ほかに、1番ライト・奥平祐一郎、6番サード・金子健治と、4人の1年生が出場した。昨年、関東学院中の主軸として全国に出場した選手である。
「4月から使い続けていました。チームの弱い部分を彼らが補ってくれています。一番は守備。彼らが入ったことで、守れるチームになりました」(若松貴洋監督)
背番号10をつけた北村を先発させたのは、コントロールを買ったためという。関東学院にとっては、夏の大会の初戦。まずは、立ち上がりを無難に入り、ゲームを作りたい。北村はその期待に応え、4回まで2安打に抑えた。
ストレートは130キロ台前半。そこにカーブ、スライダーを交え、コンビネーションで打ち取る。カウント3ボール1ストライクや3ボール0ストライクのバッティングカウントになっても、変化球でカウントを整えることができていた。1年生にしては、総合力が高い。
先制したのは5回表の関東学院。
それまで、県相模原の先発・中村健一郎から4安打を放ち、3回表には二死満塁のチャンスを作るも、無得点に終わっていた。
5回表は二死から、2番・金指康太がヒットを放つと、初球に盗塁。チャンスを広げ、打席には3番の若松真生。ここまで低めのスライダーをうまく拾い、センターへ2安打。県相模原にとってはもっとも注意すべきバッターだった。
中村、坂崎瞭のバッテリーは低めとインコースを攻めるも、際どくはずれて3ボール。ここで歩かせてもいい場面だったが、3ボールから簡単にストライクを取りにいくと、若松は逃さずに強振。センター前に運び、先制点を挙げた。
7回表には、1年生の奥平がこの日2本目のヒットで出塁し、エラーと犠打で一死二、三塁。4番・永島一聖がセンター前にはじきかえし、2対0とリードを広げた。
北村は6回に無死二塁のピンチを招くも、クリーンアップを力のあるストレートでフライに打ち取り、無失点にしのいだ。
最大のピンチは8回。先頭の川崎智佑喜に二塁打を浴びたあと、2番・中村にタイムリーを打たれ、1点差に。さらに井田研人に四球を与え、無死一、二塁とピンチが広がった。
「中学野球が7イニングだったので、8回からはさすがに疲れました…」と試合後の北村。練習試合では完投を経験しているが、さすがに夏の大会となれば緊張感が違う。コントロールが乱れ始めていた。
打席には4番の石川拓也。初戦から当たりが出ず、この日も3打席凡退。そのうち2本がポップフライだった。
県相模原・佐相眞澄部長はベンチで迷っていた。
「ヒットが出ていないからこそ、そろそろ出る頃。いや、バントで確実に送ったほうがいいか…」
出したサインは、4番を信頼した「打て」だった。しかし、結果は初球を打ち上げてセンターフライ。後続も打ち取られ、1点止まりに終わった。
結局、北村は7安打1失点3四死球で完投勝利。
「北村が期待どおりに投げてくれた」と、若松監督は1年生の好投をたたえた。
次戦は日大藤沢。じつは、北村にとっては「好きな学校」でもある。
「小学校のときから高校野球を見ていて、日大藤沢の応援やユニホームが好きだったんです。いつか、戦いたいと思っていました。楽しみです!」
敗れた県相模原は、北村の高めストレートに対応できなかった。この日は、高めのストライクゾーンが広く、「ボール」と思って見逃した球が「ストライク」とコールされるシーンが何度かあった。終盤は、その高めを振りにいくも、力に押されてフライに。
「あそこを打てるようにならなければ…」と、悔しさを見せる佐相部長。県相模原1年目の夏は2回戦敗退という結果に終わった。
(文=編集部)