帝京を50年率いた前田三夫氏が野球人生を回顧「補欠でよかった」都高野連指導者研修会で登壇
登壇した帝京高校野球部元監督の前田三夫氏
コロナのために2年間中止を余儀なくされていた東京都高校野球連盟の指導者研修会が12月3日、新宿区の海城高校で3年ぶりに開催された。今年の講師は昨年の夏に勇退し、現在は名誉監督の立場にある帝京高校野球部元監督の前田三夫氏であり、50年にわたる監督生活から「高校野球50年の歩み」というテーマで熱く語った。
春夏の甲子園で優勝3回。プロ・アマに多くの人材を輩出した日本の高校球界を代表する名将であるが、講演は挫折続きの若い時代の話から始まった。
高校1年の時に、ノックが顔面に当たり歯が2本飛んだ。両親から「そんな危ないものは辞めろ」と言われ、約半年、野球から遠ざかった。すると友達も去っていき、「野球があってこその前田三夫」と言う前田氏は、「野球を離れたつらさが大きかった」と言う。そして職員室に行き、監督に土下座して野球部復帰を願い出たが、最初は許可されなかったが、1週間通って復帰できたという。
その後、猛練習をしたが甲子園には行けず、卒業後は就職するつもりでいた。そこに帝京大学から声がかかり、進学。大学4年間は公式戦には出場できず裏方に回り、時おり帝京高校の練習の手伝いにも行っていた。そして大学4年の春、大学の本部に呼ばれ帝京野球部の監督就任を打診され、最初は事務職員として野球部の監督を始めた(後に教職)。
監督として部員の前に立った時、「みんなで頑張って甲子園に行こう」と言ったら、大爆笑された。怒りを感じた前田氏は、厳しい練習をしたが、そうしたら部員は4人になった。
部員を家に泊めて合宿をしたり、中学校を丹念に回り、夜遅くまで入学を説得したりしたという。会う約束をしたということで、台風で交通がストップしているにもかかわらず、自転車で生徒の家に行ったこともあったし、深夜で電車がなくなり、新聞紙を体に巻いて、駅に泊ったこともあったという。
今とは時代が違うとはいえ、帝京が全国区の強豪になるには、前田氏の学生時代からの挫折や執念、苦労があったという話は、若い指導者には、刺激になったのではないか。
また様々な名将とのエピソードも紹介され、「攻めダルマ」として高校野球に一時代を築いた徳島池田(徳島)の故蔦文也監督については、監督としての格の違いを実感し、「オーラがすごい。話をしてもスキがない。監督としての器が違いました。監督も鍛えないとだめです」と語っている。
最後に、「どんなチームが出てくるか、非常に楽しみです」と、東京の指導者に激励のメッセージを残し、自身の歩みについて、「(学生時代に)挫折してよかった。補欠でよかった。(監督として)頑張ってくれた生徒に感謝です」と語った。
会の締めとして、前田氏の教え子でもある東京都高校野球連盟の根岸雅則専務理事からお礼の言葉があった後、練習試合の解禁日や、タイブレークが現行の13回からが10回からになるなど、来年からの変更事項の連絡などがあり、3年ぶりの指導者研修会が終わった。
高校野球はあくまでも生徒が主役である。しかし、高校生時代は指導者の存在が非常に大きい。来年もベテランや若手の指導者が、競い合って、東京の高校野球を高めてほしい。
(取材=大島 裕史)