【巨人】大卒ドラ1投手で甲子園出場経験のある投手は何人いる?
2020年ドラフトで1位指名を受けた亜細亜大・平内龍太
ジャイアンツ球場で巨人の新人合同自主トレが行われている。その初日には阿部 慎之助二軍監督と原 辰徳監督による訓示もあり、緊張感が走ったようだ。
なかでもドラフト1位の平内 龍太(亜細亜大)は開幕一軍を目指し、「絶対にけがなく、そこ(一軍キャンプ)に呼んでいただけるように(体を)作っていきたいなと思います」と意気込んだ。
そんな平内は亜細亜大時代に4年秋のリーグ戦で最優秀投手、ベストナイン、MVPと大活躍している。しかし神戸国際大付属高時代に春夏の甲子園への出場はなく、全国的には無名な存在だった。大学時代に急成長を遂げた選手だったと言えるだろう。
調べてみると巨人に入団した大卒ドラ1の投手は、ほとんどが高校時代に甲子園への出場がなかった。平内の前の大卒ドラフト1位の投手は、2018年の高橋 優貴(八戸学院大)となる。高橋は東海大菅生高3年時に西東京大会決勝で日大鶴ヶ丘高にサヨナラ負けを喫し涙を飲んだ。
2017年のドラフト1位である鍬原 拓也(中央大)も北陸高時代に北信越大会への出場はあったものの、甲子園への出場はない。現在のエースである菅野 智之(東海大)も東海大相模高2年時にチームは甲子園出場を果たしたが、自身はベンチ入りできなかった。
平成元年(1989年)以降の大卒ドラフト1位は、希望入団枠と自由獲得枠を含め平内含めて15人いる。そのなかで甲子園に出場経験があるのは、2007年ドラフト1位の村田 透(大阪体育大/現日本ハム)ただひとりだけしかいないのである。
村田は大体大浪商高2年時にエースナンバーを背負って春の甲子園へ出場。初戦で二松学舎大付高相手に4失点完投勝ちを収めるも、2回戦で鳴門工高相手に9回3失点と好投しながら敗戦投手となった。ちなみに鳴門工高には谷 哲也(元中日)が所属していた。
澤村 拓一(佐野日大高→中央大)や木佐 貫洋(川内高→亜細亜大)に上原 浩治(東海大仰星高→大阪体育大)といった大卒1年目に新人王を受賞した投手たちも、高校時代に甲子園への出場はなかったのである。
はたしてこれから先、巨人は甲子園への出場経験がある大卒ドラ1投手を獲得することはあるだろうか。
<巨人の大卒ドラ1投手>
※1989年以降
※自由枠、希望入団枠含む
2020年:平内 龍太(神戸国際大付属高→亜細亜大)
2018年:高橋 優貴(東海大菅生高→八戸学院大)
2017年:鍬原 拓也(北陸高→中央大)
2015年:桜井 俊貴(北須磨高→立命館大)
2012年:菅野 智之(東海大相模高→東海大)※1年浪人
2010年:澤村 拓一(佐野日大高→中央大)
2007年:村田 透(大体大浪商高→大阪体育大)
2006年:金刃 憲人(市尼崎高→立命館大)※希望枠
2005年:福田 聡志(井都高→東北福祉大)※希望枠
2004年:三木 均(飛翔館高→八戸大)※自由枠
2002年:木佐 貫洋(川内高→亜細亜大)※自由枠
2002年:久保 裕也(沖学園高→東海大)※自由枠
1998年:上原 浩治(東海大仰星高→大阪体育大)
1994年:河原 純一(川崎北高→駒沢大)
1993年:三野 勝大(丸亀商高→東北福祉大)
(記事:勝田聡)
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