内川聖一の「職人技」を未来の金の卵に伝えてほしい
ソフトバンク時代の内川聖一内野手(大分工出身)
職人がバットを置いた。ヤクルト・内川聖一内野手(大分工出身)のことだ。横浜(現DeNA)、ソフトバンク、ヤクルトでプレー。通算2186安打を放ち、2008年には右打者として史上最高打率.378をマーク。両リーグでの首位打者と最多安打を獲得し、7年連続打率3割を達成するなど、右打者としては上位にランクする。巧みなバットさばきでどんな球でも軽くヒットにしてしまう。ソフトバンク時代に取材をさせてもらった時には、そんな印象を持った。ヤクルトで新たな境地を切り開くのを楽しみにしていたが、年齢には勝てなかったのか。引退会見を見て、そう思った。
10月3日。引退試合では見事な適時二塁打を放った。感極まった涙は、やりきった男のうれし涙だったに違いない。プロ通算打率は.302で終えた。
宮崎・日向での自主トレを取材したことがある。残念ながら雨の日だったこともあり、室内練習場での自主トレ公開だったが、いつまでも、自分の気が済むまでバットを振っていた。いつになったら取材できるのだろうかと、こちらが根負けしそうだった。
この日向自主トレで大きく飛躍した選手がいる。内川に「弟子入り」して、今季からMLBのカブスに移籍した元広島の鈴木誠也外野手(二松学舎大附出身)だ。
おそらく、鈴木が今の打撃スタイルを確立させる上で、この日向自主トレで学んだことは多かったと思う。同じ右打者の大先輩。内川にいろんなことを教わり、背中を見て吸収したに違いない。以前、インタビュー記事で鈴木がこう振り返っていたことを思い出した。
「内川さんから、昆虫の蝶には羽根が4つあって、それぞれが違う動きをして飛んでいる。野球もすべてが違う動きをして1つの作品になっていい打球が打てる、という話をしてもらいました」
なかなか理解しにくい話だが、高次元の2人だからこそ、わかり合えたのだろう。鈴木は内川から「卒業」し日本を代表する右打者となり、海を渡った。
大分工時代の内川に惚れた男もいた。ドラフト1位指名を強く押した当時横浜(現DeNA)の岩井スカウトは、内川の打撃練習を初めて見たとき衝撃を受けたという。
「打撃投手、マシンなど4カ所の60スイングほどで、ほとんど打ち損じがない。打球は右中間と左中間の間にしか飛ばない。構えたトップから一直線でインパクトにいく。グリップの遊びがないから、どんな球でも芯に当てられる。こんな高校生見たことがないと思った」。
内川の父、内川一寛氏は大分県の高校野球の指導者でもある。国東高では元ダイエー(現ソフトバンク)の吉田豊彦投手を育て、大分工時代は自分の息子を指導した。現在は大分高校の監督。内川は、引退会見でNPB以外でのプレーに含みを持たせていたが、違う道にも挑戦してみたい気持ちもにおわせていた。
将来、大分で父の後をついで高校野球の監督をしているかもしれない。指導者として未来の最強右打者を育てるのも、野球道を貫いてきた職人・内川らしい人生なのかもしれない。心のどこかで、そう願っている自分がいる。
(文=浦田由紀夫)