オリックス・能見篤史(鳥取城北出身)はNPB唯一の鳥取の高校出身
能見 篤史
12月18日、オリックスに移籍した能見 篤史が入団会見を行った。投手兼任投手コーチということもあり、「若い選手にプラスになるような手助けをしたいと思います。しっかり打者を抑える事ができるように練習して、試合で良い結果を出したい」と語るなど、若手たちに手助けを行いながら自身も結果を残すと意気込んだ。
そんな能見は鳥取城北高を卒業し大阪ガスを経て、2004年自由枠で阪神へと入団している。NPBでは数少ない鳥取県の高校出身者なのだ。
現役選手で見ると鳥取県の高校を出身者は能見以外にひとりもいない。近年では、能見と同じ鳥取城北高出身の藤原 良平(鳥取城北高→第一工大→2007年西武大・社3巡)が、2018年シーズンまでプレーしていたのが最後。2019年以降、鳥取県の高校出身者は能見ひとりだけになってしまった。
その他の選手を見ても鳥取県の高校出身者は多くない。能見と藤原のまえにドラフト指名を受けた選手は足立 亘(境高→1985年広島5位)まで遡る。この足立から能見まで19年間に渡ってドラフト指名がなかった。
鳥取県の高校出身者が少ないことは事実だが、実績のある選手がいないかというとそんなことはない。通算104勝を挙げている能見以上の勝ち星を誇る投手が2人もいる。
ひとりが巨人と阪神で活躍した小林 繁。小林は由良育英高から神戸大丸を経て1971年ドラフト6位で巨人へと入団する。1976年に初の2桁勝利となる18勝をマークすると翌1977年には沢村賞を受賞。1979年に阪神へと移籍したその年には、キャリアハイとなる22勝を挙げ、自身2度目の沢村賞を受賞した。そんな小林の通算勝利数は139勝である。
そしてもうひとりが川口 和久である。川口は鳥取城北高からデュプロを経て19810年ドラフト1位で広島へと入団。広島と巨人の2球団で先発と中継ぎの両役割をこなし。小林と同じ139個の勝ち星を積み上げた。
能見の104勝には届いていないものの、南海などで活躍した加藤 伸一も鳥取県の高校出身だ。加藤は1983年ドラフト1位で指名を受け、倉吉北高から南海へと入団。以降、広島、オリックス、近鉄と渡り歩き92勝をマークしている。
中継ぎとして活躍した角 盈男も米子工高出身。三菱重工三原を経て1976年ドラフト3位で巨人へと入団。日本ハム、ヤクルトの3球団で中継ぎとして活躍し、38勝、99セーブを記録した。
鳥取県の高校出身者は決して多くないが、これだけ活躍者は生まれている。能見に続く存在が現れる日を楽しみに待ちたい。
(記事:勝田 聡)