現役引退を決めた山中浩史(必由館出身)がアンダースローになったきっかけ
2020.11.16

社会人・Honda熊本時代の山中 浩史
11月16日、東京ヤクルトの山中 浩史(必由館出身)が引退を決めた。右のアンダースローとしてセ・リーグの強打者を牛耳ってきた山中。 必由館時代は全くの無名。脚光を浴びるようになったのは、当時のドラフトの目玉である東北学院大・岸孝之(名取北出身)に完投勝利を上げる。そしてHONDA熊本に進んでも、都市対抗で活躍し、日本代表に選ばれるなど、社会人屈指のアンダースローとして評価を高め、27歳で迎えた2012年のドラフトでは福岡ソフトバンクから6位指名を受け、入団が決まった。
入団1年目は17試合に登板したが、防御率5.52と結果を残せず、転機となったのは2014年シーズン途中にトレードで東京ヤクルトへ移籍したこと。2015年にはプロ初完封を達成するなど6勝を挙げ、2016年には自己最多の140回を投げた。今季は6試合に登板し、1勝、防御率5.52に終わり、戦力外が決まった。それでも、9年間で92試合、17勝26敗、2ホールドは健闘したといえるだろう。社会人時代にインタビューした記事を再掲したい。山中がプロを狙えるアンダースローへ成長したのか。その理由がわかるはずだ。
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