2009年神奈川ナンバーワン右腕として騒がれた白村明弘(慶應義塾出身)も戦力外に
高校時代の白村明弘(慶應義塾出身)
戦力外通告を受けた選手たちも高校時代は超高校級の選手として騒がれていた。北海道日本ハムから戦力外通告を受け、今季限りの引退を表明している白村明弘(慶應義塾出身)もその1人だ。
岐阜出身の白村は高校1年から練習試合で起用され、140キロ近い速球を投げ込み、まさに怪童だった。速球能力はもちろん。しなやかな腕の振りから縦回転で使える投球フォームは、全国から逸材が集まる慶應義塾の中でも傑出していたといえる。今、人気急上昇の東京ヤクルト1位の木澤尚文(慶應義塾出身)よりも素材は上だった。
ただ制球難があったり、伸び悩みの時期があった。そんな白村は2年秋にエースとして活躍。伸び上がる140キロ中盤の速球で、関東大会、神宮大会優勝に貢献した。センバツでは、大会屈指の右腕として注目されたが、初戦敗退。夏でも桐蔭学園相手に初戦敗退に終わっている。慶應義塾大では通算39試合に登板し、12勝をあげ、2013年、北海道日本ハムファイターズから6位指名を受け、入団した。1年目から10試合に登板。2015年には50試合に登板。57.2回を投げ、66奪三振、防御率2.03の好成績を記録し、2016年、2017年も2年連続で20試合登板を経験したが、2018年の3試合登板にとどまり、2019年から野手に転向した。
通算109試合登板し、6勝5敗、2セーブ、15ホールド、防御率3.10と一定の成績を収めた。白村は活躍するまで色々紆余曲折があった選手。とはいえ、厳しいプロの世界で100試合登板を達成できたのは同世代の中では健闘したといえるだろう。
とにかく白村の伸び上がるような速球は今でも忘れられない。長い歴史を誇る慶應義塾高等部、そして神奈川の高校野球の中でも忘れられない球児の1人であったことは間違いない。
(記事=河嶋 宗一)