山田哲人や村上宗隆などヤクルト歴代のドラフト1位でベストナインを組むと…?
履正社時代は遊撃手だった山田哲人選手(東京ヤクルト)
1965年に行われた第1回ドラフト会議から、多くの選手がドラフト1位でプロ入りを果たしている。各球団におけるドラフト1位は、その年の指名選手たちのなかでもっとも期待をかけられている存在といってもいい。
そんな超有望株だけで、各球団ごとにチームを作ったらどのようなチームになるのだろうか。今回はヤクルトで試してみた。
※1965年から2019年のドラフト会議で1位、1巡目、自由獲得枠、希望入団枠でヤクルトに入団した選手たちから選出している。
投手は球団を支えた功労者が多かった。石川雅規(青山学院大/2001年自由獲得枠)、石井一久(東京学館浦安高/1991年)、川崎憲次郎(津久見高/1988年)、伊東昭光(本田技研/1985年)…と名前をあげればきりがない。
そのなかで選んだのは伊藤智仁(三菱自動車京都/1992年)である。1年目からスライダーを武器に先発として活躍、その後は中継ぎや抑えも経験した右腕だ。投手タイトルの獲得、2桁勝利の達成はない。規定投球回に到達すたのも1度だけしかない。しかし、残したインパクトは強烈だった。
野手陣の選考は難航した。投手と比べるとドラフト1位での指名人数が少なく、またポジションにも偏りが生まれているからだ。しかし、ヤクルトの場合はなんとかポジションを埋めることができた。
最難関となってもおかしくない捕手は八重樫幸雄(仙台商/1969年)を選出している。24年間に渡って現役でプレーした八重樫は、記録よりもメガネや極端なオープンスタンスが記憶に残っているファンも多いのではないだろうか。現役生活の大半は、バリバリのレギュラーというわけではないが、欠かせない存在だった。ちなみに古田敦也は1989年のドラフト2位入団である。
内野は一塁に村上宗隆(九州学院高/2017年)、二塁には田中浩康(早稲田大/2004年自由獲得枠)、三塁には長嶋一茂(立教大/1987年)をそれぞれ選んだ。二塁は山田哲人(履正社高/2010年)もいるが、遊撃が見当たらなかったためプロ入り時のポジションで選出している。意外にもドラフト1位入団で遊撃手として大成した選手はいなかった。宮本慎也も池山隆寛も2位であり、水谷新太郎は9位での入団だ。
外野には広澤克実(明治大/1984年)、高井雄平(東北高/2002年)、武内晋一(早稲田大/2005年希望入団枠)の3人を選んだ。いずれもドラフト指名時のポジションは外野ではなかったが、プロ入り後に外野を守っている。若松勉や稲葉篤紀、青木宣親といった2000本安打達成者たちもドラフト1位での入団ではなかった。
ヤクルトに限った話ではないが、ドラフト1位で外野手の指名はほとんどない。どのチームでベストナインを考えるときも苦労しそうだ。
このようにヤクルトは歴代のドラフト1位だけでも、極端なポジション変更なくチームを組むことができた。その他の球団、または順位で縛るのもおもしろいかもしれない。
<ヤクルト・ドラフト1位指名のみのベストナイン>
※自由獲得枠、希望入団枠含む
投手:伊藤智仁(花園-三菱自動車京都/1992年)
捕手:八重樫幸雄(仙台商/1969年)
一塁:村上宗隆(九州学院/2017年)
二塁:田中浩康(尽誠学園-早稲田大/2004年自由獲得枠)
三塁:長嶋一茂(立教-立教大/1987年)
遊撃:山田哲人(履正社/2010年)
外野:武内晋一(智弁和歌山-早稲田大/2005年希望入団枠)
外野:高井雄平(東北/2002年)
外野:広澤克実(小山-明治大/1984年)
(記事=勝田 聡)
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