東浦・中嶋勇喜監督の思い「いつになってもいい、一度試合をさせてあげたい」
東浦高校
高校生活は3年しかない。その中で部活動として実際に活動でできる時間は野球の場合は、実質2年4カ月しかない。人生という長いスパンの中で考えてみたら、それは、ほんのわずかな時間でしかないかもしれない。
しかし、10代半ばという、人間として最も感性豊かで、いろいろなものを吸収していかれる時代にとって、その1日1日はとても大切な日々となる。ことに、毎年選手が入れ替わっていく高校生のチームにとって、その1年のその代のチームはかけがえのないものである。それが、今年の3年生たちは、新型コロナウイルスという得体のしれない、見えない敵によって奪われようとしている。
その思いはいかばかりなものなのだろうかと思う。
「とにかく、試合をさせてあげたい。腕試しをさせてあげたい。もし、最悪の事態として夏の愛知大会ができなかったとしても、知多地区の学校だけでもいいです。やれるところで、いつになってもいいから、このチームで試合をさせてあげようと、そんな話も地区の先生方には声をかけています」
そう話してくれたのは、今春のセンバツ大会の21世紀枠代表候補として愛知県から推薦を受けていた東浦の中嶋勇喜監督だ。
東浦は近年、着実に力を示してきている。赴任当初は、数人しか練習に顔を出す部員がおらず、グラウンドも荒れ放題という状況だった。そんな状況から中嶋監督が率先してグラウンド整備から始め、まるでカタツムリの歩みのようにゆっくりながら、だけど徐々にチームは上へ上へと昇っていかれるようになってきたチームだ。
そして、そんな噂を聞きつけて地域の野球少年たちが目指してくるようになった。それとともにチーム力も着実に上がってきて、地区大会を勝ち上がり春秋の県大会に進出するチームとなっていくようになった。
前年のチームも、確実に秋と春は築を勝ち上がり県大会にも進出。そして夏の愛知大会も4回戦まで進出した。今季のチームは、そのメンバーから4番を打っていた青柳翔太君と1年生の時から大会のマウンドで投げていた伊加田光君という投打の軸が残っていた。そんなところも評価されての21世紀枠代表候補校としての県推薦だった。東海地区からの推薦は得られなかったものの、中嶋監督としては、確実にまた一つ階段を昇れたと実感していた。だから、この春からの大会は楽しみにしていた。
愛知県の場合、公立校は2月末の休校要請を受けて、そのまま学校は休みとなり、もちろん部活動も自粛していた。そんな中で、各自が練習メニューを考えて対応してきた。そして、春休みになって、2時間ほどではあるが、集まってグラウンドで練習もできたという。東浦の場合は、他の運動部も、それぞれが時間差を作りながら、活動しかけていたところだった。
そんな中で、「よし、何とかやれそうだ」と思いが高まってきた矢先の4月6日。結局、入学式だけが行われて、再び休校ということで、練習は自粛となった。期待に胸を膨らませていた新入生も顔合わせ程度で終わってしまった。
「一度、気持ちを盛り上げて、『よし、やっと(野球を)やれる』と、思った矢先の2度目の休校でしたから、モチベーションが落ちていかないかということが心配です。正直、先行きはまったくわかりません。だけど、気持ちだけは切らさないようにと、連絡を取って(選手たちを)励ましています」
というのが実情だ。
それだけに、「いつになっても、どんな形でもいいから、このチームで一度試合をさせてあげたい」というのは、指揮官の熱い思いでもあり願いでもあるのだ。
記事:手束仁
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