「次の何か」を求めて 引退の上原浩治がプロ現役21年を振り返る!
日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成し、今年5月に現役を引退した上原浩治さん。今回、上原さんの著書『OVER 結果と向き合う勇気』(JBpress発行)の発売を記念して、上原さんのトークイベントが開催されました。今はまだ「自由人」としての生活を満喫されている上原さんですが、「次の何か」を求めて動き出す日も近いようです。
トークイベント中の上原浩治さん
――現役21年を振り返られて、何度も聞かれているとは思うんですが、ハイライトと言われると、どこが思い浮かびますか?
上原 その年その年、いろいろありましたからね。1年目で、いきなりいい成績を収めることができましたけど、2年目ですぐケガしましたし。2年目、3年目は苦しんだ年でもあったので。4年目からまたいい感じで、3~4年続けましたけど、またケガで、っていう。自分の中で野球人生っていうのはケガとの付き合いでしたから。ケガさえなければという気持ちももちろんありましたけど、ケガをしないのも一流の証しです。自分は一流になりきれなかったな、という思いはありますね。
―― “いやいや、上原さんは一流でしょう”と思ってる方も多いと思います。一流の条件というのは、上原さんの中では何なんですかね?
上原 まずはケガをせずに1軍で試合に出続けることじゃないですか。例えば打者なら3割打てとかじゃなくて、2割7分でもきちんと143試合、きちんとそこにいるっていうこと。監督にとっては、メンバー表を書く時、すぐにその名前を書けるわけですから、そこは一流の証しでもあると思いますよね。
――ぱっと思い浮かぶ方でいうと、どなたが一流ですか?
上原 やっぱりイチローさんはとんでもない人でした。あんなにね、28年ですか。多少はケガをしていたと思いますけど、ずっと試合に出続けていました。そこは誰も追いつかない領域じゃないですかね。
――平成最後の引退がイチローさんで、令和最初の引退が上原さんでした。何か運命めいてるような気もします。
上原 無理やりこじつけてる(笑)。
――イチローさんとは、最初にメジャーで対戦された時、いきなりツーベース、スリーベースを打たれて。そのあとはずっと抑えています。
上原 「試合前のバッテリーミーティングで、監督から“イチローを抑えるにはどうしたらいいのかみんなの前で言ってくれ”って言われて。僕は、“シングルヒットは仕方ない”と言ったんですね。“長打さえ打たれなければいい”と。“シングルヒットはもう仕方がない、3割5分打つ人なんだから”って。そう言ってた僕が二塁打、三塁打打たれたんで(笑)。ベンチへ帰ってきてちょっと怒られました(笑)。
――アメリカから日本に戻って来られた時、巨人以外のチームからのオファーはあったのでしょうか? また、今後、もし巨人以外の球団から何らかの形でオファーがあったら、その球団へ行く可能性はあるのでしょうか?
上原 他の球団からの誘いもありましたし、今後、巨人以外の球団へ行く可能もゼロではないと思います。自分のことを欲しいと言ってくれるところに行くのが一番幸せなことだと思いますから。
[page_break:打たれても命まで取られることはない]打たれても命まで取られることはない
上原浩治さん
――上原さんはプロに入ってすぐに大活躍をされましたが、アマチュアからプロになった時に、アマとプロ、ここが一番違うと思ったところはどこですか?
上原 ストライクゾーンは、確かにちょっとプロは狭いかなとアマチュアから来た人は感じると思います。甲子園(高校野球)はストライクゾーンが広いですよね。僕もあれで投げたかった(笑)。あとは、僕がアマチュアのころは、国際試合では金属バットを使っていたんです。プロは木製バットですね。僕がアマチュアのころ、キューバと対戦した時は金属バットでやってたんで。だからプロに入っても恐怖感はあんまりなかったです。
――上原さんといえばメンタルの強さも素晴らしい選手でしたが、これまですごく大きな舞台で窮地を切り抜けてきた上原さんの、マインドコントロールの秘訣みたいなものがあったら教えていただきたいのですが。
上原 難しい質問ですね……。でも、僕はピンチで出て行った時は、結局、前ピッチャーが出したランナーがいる時にマウンドに上がるわけで、“もし打たれても、自分に自責点、つかへんやん”って、まずそういう考えでした(笑)。逆に、抑えればこっちがヒーローっていうか、認めてくれると。まずそういう考えでいましたね。究極に考えるのなら、命まで取られることはないと。そう考えていました。
――上原さんが人生において野球以外で大切にしていることがありましたら、聞かせてください。
上原 それはもう仲間ですね。自分の周りにいる人たちです。それを強く感じるようになったのは。アメリカに行ってからかな。友だちにしてもそうだし、いろいろ協力してくれる人は大事にしなきゃいけないと思っています。これからも、たくさんの人と仲良くなっていくと思うので。やはりそういう自分の周りの人たちは、絶対大事にした方がいいと思います。
――最後に、もし今後、指導者として歩まれる場合、どんな投手を育ててみたいと思いますか?
上原 僕が今年、1軍のオープン戦で投げた時にスピードを求められて、僕はでもそういうタイプでやってきたわけじゃないのにそういうことを言われて、20年間やってきた野球を否定されたような気がしたんです。
まずは本人がどう気づくかじゃないですか。スピードで勝負するのか、コントロールで勝負するのか、っていうのをきちんと話し合って、そこでどうしたいかっていうのを決めていくのがベストだと思うんで。球が速いから絶対通用するかって言ったら、それはないですから。昔話で申し訳ないですけど、左投げの星野伸之さんとかね。そんなに速くないけど、150勝ぐらいしたのかな?(176勝)そのぐらい勝ってるわけですから。じゃ、160キロ投げてる選手たちが150勝するかって言ったら、たぶんしないと思うんですよね。それはもう本当に個々でどういうタイプかっていうのをきちんと見極めると。僕がもしコーチになったらね、その選手と話し合って、指導していくと思います。
上原さん、ありがとうございました!
今季21年に及ぶ現役生活に終止符を打たれました上原浩治さんの新刊「OVER」にも、上原さんの熱い言葉がたくさん詰まっています!
OVER 結果と向き合う勇気
◆タイトル:「OVER 結果と向き合う勇気」
◆著者:上原浩治(読売ジャイアンツ、ボストン・レッドソックス他)
◆目次抜粋
第1章 引退~結果と向き合った日々~
【対談】×松井稼頭央(西武ライオンズ二軍監督) 「共通する1年で最もつらい時期とは?」
第2章 139キロのストレートを打たせない~正解がないなかで、やってきたこと~
第3章 結果と経験。一軍と二軍。~正解がないなかでどうすべきか~
【対談】×高橋由伸(読売ジャイアンツ顧問) 「由伸が監督じゃなかったら復帰しなかった」
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