カープの歴史を塗り替えた男・小園海斗!報徳学園入学、永田監督との当時の関わりとは?
9月10日の広島対中日戦で、7回に2試合連続となる4号2ランを放った小園海斗。広島球団の高卒ルーキーでは、球団最多となる本塁打数を記録した。
また、2試合以上続けて本塁打を打った高卒ルーキーでも、広島では初めてとなる。セ・リーグにおいては、史上5人目だ。
今後のさらなる活躍が楽しみな小園だが、彼の報徳学園高時代の恩師は、先日5位で大会を終えたU18ワールドカップで代表監督を務めた永田裕治監督だ。
今回は、高校2年時の冬に小園が話してくれた永田監督への思いや、入学当初のエピソードを振り返って紹介したい。
報徳学園野球、そして永田監督と小園海斗の関わり
報徳学園時代の小園海斗
――高校は、地元の報徳学園を選びました。
小園海斗 小さいころから高校野球を見ている中で一番に甲子園でも勝っている「HOTOKU」ユニフォームのカッコよさに憧れましたし、僕が地元で活躍することで地域の皆さんや後輩たちにいい影響も与えたかったんです。
――進学を決めた理由には永田 裕治・前監督の存在も大きかったと思います。
小園海斗 今、クラス担任は永田先生なんですが(笑)、授業の時と野球の時は全然違う方。1年時から僕は試合に出させて頂く中で、光栄に思いつつも、結構怒られました。
――最初は中学野球と高校野球との戦術の違いに対する戸惑いもあったのでは?
小園海斗 報徳学園は細かい野球をするんですが、チーム戦術の部分とバントに戸惑いました。僕は枚方ボーイズでは2番を打っていたんですが、一度も試合でバントをしたことがなかったんです。
――となると、最初のカルチャーショックは「バント」ですね。どうやって慣れていったのですか?
小園海斗 朝練習で全体が集まった時に、3年生の先輩から「変化球の時も最後までボールを見て、バットにボールを付ける感じでするように」と教えて頂いて、今では問題なくできるようになりました。バントの調子がいいとバッティングの状態もよくなることも解りましたし、しっかりするようにしています。
――そのバッティングについては、入学当初はどんなことを心掛けましたか?
小園海斗 中学時代から球速のある投手と数多く対戦していたのですが、それでもまずは「ボールに食らいついていく」こと。一生懸命にすることで精一杯でした。少し慣れてから「対応」はしようと考えていました。
――守備についてはどうですか?
小園海斗 僕は中学時代、そんなに守備がうまい選手ではなかったんです。でも、報徳学園のランナーが付いて、なおかつ「これで失点したら負け」といった厳しい状況設定の中でノックを受け続けたことで、プレッシャーの中で守備ができる自信ができました。
守備の基本練習も朝練習でやり続けました。置いてあるボールにダッシュをかけて最後は刻んで捕球する形と、捕球態勢でのゴロ捕りを続けたことで格段に守備がよくなったんです。
――2017年・小園選手2年春のセンバツでは、大会前に永田監督がセンバツ限りで勇退されることを表明した中でのベスト4。小園選手も18打数9安打5打点・本塁打も1本放ちました。
小園海斗 僕にとっては枚方ボーイズ時代のタイガースカップ以来の甲子園でのプレーでした。みんなで「永田先生のために優勝しよう」と誓いあって臨んだ大会で、準決勝で履正社(大阪)に負けてしまったことは悔しかったです。
とはいえ、前年秋の近畿大会も思うような試合ができず、なんとか近畿地区一般枠選考ギリギリで出場できた中で、一戦一戦「相手をつぶしにいく。永田先生のために負けてはいけない」という気持ちを持ち続けてベスト4まで進めました。「気持ちが大事」ということをここで学びました。
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