星稜だけじゃない!甲子園にまつわる様々な「縁」
松井秀喜の高校時代
8月5日に第100回全国高校野球選手権大会(以下:夏の甲子園)が開幕した。史上最多となる全56校が聖地でもある甲子園球場に集結した。昨年までに99回開催されていることもあり、夏の甲子園には歴史、そして、さまざまな「縁」がある。
縁があったのは星稜だけじゃない
今大会は「レジェンド始球式」と称し、過去の大会で甲子園を沸かせたレジェンドたちが日替わりで始球式を行うことになっている。開会式直後の第1試合である星稜(石川)と藤蔭(大分)戦には星稜OBであり、卒業後に巨人・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が登場した。松井氏が始球式を行う直後の試合に母校が登場する、というのはなにか縁を感じられずにいられない。
松井氏がはじめて甲子園にやってきたのは1990年夏の甲子園だ。1年生ながら背番号「3」をつけ聖地デビューを果たしている。そして藤蔭もその大会において、記念すべき初出場を飾っていた。また当時の主将であり、選手宣誓を務めた原秀登が現在の監督なのだ。
同校はわずか2回の甲子園出場ながら、原監督は選手として、そして監督として松井氏と同じ舞台に立ったのである。
松坂大輔と荒木大輔の縁
平成としては最後の戦いとなる今大会だが、平成としておこなわれた大会でも、多くの名選手が誕生している。そのひとりが松坂大輔だろう。横浜(南神奈川)のエースとして20年前の80回記念大会を制した「平成の怪物」だ。
松坂の名前である「大輔」が、早稲田実の荒木大輔に由来することはよく知られていることだろう。荒木は戦後初となる5季連続甲子園出場を果たした投手であり、「甲子園のアイドル」として人気を博していた存在だ。
その荒木が背番号「11」をつけ、初めて甲子園にやってきた1980年夏の甲子園。1年生ながら臆することなく5試合で4完封をマークし、決勝へと進出する。その決勝で対戦したのが横浜だった。愛甲猛擁する横浜は荒木を打ち崩し、悲願の初優勝(春のセンバツは優勝経験あり)を果たしたのである。
その18年後に荒木「大輔」人気から名前をつけられた松坂「大輔」が、荒木に甲子園ではじめて土をつけた横浜のエースとして、春夏連覇を達成するというのも「縁」と言ってもいいのではないだろうか。
101回目となる来年の大会以降に繋がる「縁」が今大会でも生まれるかもしれない。日々行われている熱戦から目がはなせない。
(文:勝田 聡)