清野佑馬(3年=日大鶴ケ丘)

 23日から開催されている文部科学大臣杯第74回全日本大学準硬式野球選手権大会(以下、全日大会)は、日本大の優勝で幕を下ろした。27日の大阪経済大との決勝戦はもちろんだが、数多くの熱戦が繰り広げられた。そのなかでも25日の準々決勝、中央大と日本大による東都1部リーグ同士の直接対決は大会の屈指の好ゲームだった。

 試合は日本大が2対0で勝利したものの、中央大は12回、日本大は5回も過去に全日大会で優勝した実績がある。今大会の優勝候補でもあるが、直接対決は中央大に分があった。今の世代は入学してから中央大が全て勝利しており、日本大は1度も勝利したことがなかった。

 準々決勝で先発した清野佑馬投手(3年=日大鶴ヶ丘)は勝利だけに集中した。

「(相手を)あまり意識せずに、全員が『勝ちたい』と思って戦いました」

 6回までランナーを出しながら、粘り強い投球で中央大にホームを踏ませなかった。低めに集めた120キロ台のスライダーを見切られ、「(中央大は)甘くない」と苦しめられた。しかし、140キロに迫る直球を軸に、「自分の持ち味でリズムを作れた」という90キロ前後のスローカーブで緩急をつけて打たせて取る投球に集中した。6回75球、打者22人に対して被安打3、与四死球2の無失点という完ぺきに近い投球。大事な一戦でこれ以上ない投球を見せ、2番手にマウンドを託した。

 長い手足を上手く畳みながら、最後はしなやかに腕を振り抜く。素材の良さを感じさせる投球フォームを習得したが、現在に至るまでは紆余曲折があった。

 1年生春のリーグ戦で早々にデビュー。華々しく大学準硬式をスタートさせたが、すぐに肩関節唇損傷で離脱。さらに2年生の夏には右ひじ靱帯損傷と、度重なる故障で満足に投げられない日が2年間続いた。

 生まれつき持っていた右股関節の臼蓋形成不全もあり、コンディションは最悪。本人も一時は「準硬式をやるんじゃなかった」と硬式への未練も含めて後悔したこともあったという。



清野佑馬(3年=日大鶴ケ丘)

 しかし、「けがを考慮して練習メニューを組ませてもらえた」と自分のペースで練習を進めることができ、大きなプラスになった。

 大学で専攻しているスポーツ栄養学の知識を用いて、食事面への配慮をしつつ、本格的に始めたウエイトトレーニングのおかげで20キロの体重増加に成功。さらに大谷 翔平投手(花巻東出身)やダルビッシュ 有投手(東北高出身)を参考に、テークバックをコンパクトにまとめたことで、投球モーションのずれを減らすようにしてきた。

 さらに筋力増加のおかげもあってか、大会期間中に140キロをマーク。自己最速をたたき出したことに、「けががあったので、スピードは難しいと思っていた」と驚いていた。

 本人のなかでは、支えとなっている先輩がいる。日大鶴ヶ丘時代の1学年先輩にあたる勝又 温史外野手。現在はDeNAで育成選手として奮闘中である。

 高校時代、エースとして臨んだ最後の夏は甲子園に手が届かなかったが、西東京大会で準優勝に導く快投もあってプロ入り。投手として奮闘していたが、22年シーズンから野手として育成契約し、再スタートを切っている。



譲り受けたグラブ

 そんな勝又が投手をしていた頃に使っていたグラブを譲り受けたという。刺繍も勝又の支配下の際に使っていた背番号「28」や名前が入っている。清野にとっては偉大な1学年先輩で、今も試合前には動画を見て気持ちを高ぶらせているという。先輩の道具を使えることに「(これは)凄く自分にとっては大事なものです」とモチベーションにもつながっている。

 大会では初戦、そして今回の中央大との一戦で快投を見せ、復活を印象付けると、2日後の27日の決勝戦でも先発のマウンドへ。1回持たずに悔しい降板となったが、味方の踏ん張りもあり、延長10回の激闘の末に通算6度目の優勝を掴んだ。

 野手へ転向した偉大な先輩の思いがこめられたグラブを手に、大けがからの復帰を印象付ける優勝となった。あと1年、変わらぬ好投を続けることは、けがを乗り越えて活躍できる舞台が大学準硬式の世界にあることを、今の高校球児たちへ示すことになるだろう。清野の活躍は大きな意味を持つものになることを信じつつ、期待していたい。