日本一を目指した夏は…

「感謝の気持ちがあるなら、言葉で言うだけではダメだ。結果を出せ」
冬の間から、花巻東・佐々木洋監督は大谷 翔平にずっとそう言い続けてきた。昨夏の岩手大会前に左足を故障。準決勝以降は外野手としての出場だった。夏の甲子園では登板したものの、5回3分の2を6安打5四死球と本来の姿とはかけ離れた投球に終わった。

左足の故障は、成長軟骨が折れる骨端線損傷。治療法はなく、完治するためには休養するしかない。秋の岩手大会は代打で出場しただけで、東北大会でも外野手で出場しただけ。登板することはできなかった。「チームメイトのおかげで甲子園のマウンドに立たせてもらえる」と臨んだセンバツでは、大阪桐蔭に11四死球を与える乱調で9失点。夏こそは結果を出すことを目標に取り組んできた。

冬の間、大谷は精神的に苦しんできた。
故障回復のためには、睡眠時間を確保することがもっとも効果的。そのため、レギュラー組中心の学校そばにある第一寮から、自転車で5分程度離れた第二寮に移った。3年生が多い第一寮では、洗濯の順番待ちや、同級生と話す時間などで、どうしても就寝時間が遅くなる。下級生中心の第二寮に移ることで、雑用を早く済ませ、チームメイトとダラダラ過ごす時間を削って、睡眠時間を多く取ることに努めた。

佐々木監督から他の選手たちに「大谷を特別扱いするわけではない。チームが勝つためには大谷の力が必要。そのために、こういう方法を取るよ」と説明があったが、やはり高校生。自分のための特別処置を気にしないわけにはいかなかった。足の故障のため、冬場は多くなるランニングメニューをまったくできないこともあり、チームメイトが歯を食いしばる姿を見守ることしかできない。野球人生でこれだけ投げられない期間が続いたこともない。笑顔を見せ、気にしないようには見せていたが、大谷はこうこぼしていた。「野球でこれだけ我慢したことは初めてです。元のように投げれるか不安です」

センバツ後にようやく故障も治り、万全の調整で迎えた初めての夏。準決勝では高校生史上初となる160キロをマークし、最後の最後に感謝の気持ちを結果で表す状態にまでもってきた。
「160キロを出すことと、日本一になることが監督さんとの目標」。何度もそう口にして、自分を奮い立たせてきた。