目次

[1]最初は長打を打てる選手ではなかった
[2]自信をつかんだ二度の甲子園でのホームラン
[3]目指すはWBC日本代表!


 選抜、選手権の二大会で、ホームランを放ち、スラッガーとして大きな可能性を示した桒原 樹(たつき)選手。彼がスラッガーになるまでの過程、背景。そして将来の目標を伺ってみました!

最初は長打を打てる選手ではなかった

――桒原選手が常葉菊川に入るきっかけを教えていただいてもよろしいでしょうか?

桒原樹選手(以下「桒原」) やっぱり家が地元の菊川なので、優勝と準優勝した時の印象がとても強かったので、このチームに入って、フルスイングをしたいと。バッティングを魅力を持ってこのチームに入った感じです。

――当時から桒原選手は長打力には自信を持っていたのでしょうか?

桒原 いや中学時代に長打力には自信を持っていなかったのです。シニアのときに打っていなかったですし、今のようにホームランを打てるバッターではなかったです。常葉菊川に教えられて、今のパンチ力がつきました。

桒原樹(常葉菊川2年)

――常葉菊川に教えられたことはなんでしょうか?

桒原 右方向が打てなかったので、森下(知幸)監督から打撃の時は右肘が伸びないように右ひじが上手く畳んで打つ練習をしました。

入学時、長打が打てなかった桒原選手。当時のことを常葉菊川の森下監督に振り返っていただいた。

森下知幸監督(以下「森下」) そうですね。打球の方向が全部逆方向の打撃だったんですよね。バットを振って運ぶ打撃ではなく、バチーンとおっつけて、逆方向に飛ばす打撃でした。だからせっかく良い体をしていてボールを捉える力もあるんだけど、いわゆる長距離打者になるためにはそういう打撃では駄目だなと思いました

――なるほど分かりました。桒原選手がレギュラーになったのは1年の秋からになりますか?

桒原 そうですね。一塁としてレギュラーとして出ました。ファーストはあんまり経験はないんですけど、中学で(小笠浜岡)シニアのときはずっとショートで、ファーストはアウトが成立するポジションだと思っていますので、捕球の仕方、投手の連携など難しいポジションでありました。

そして秋の東海大会・大垣日大戦で本塁打を放った桒原選手。森下監督からこの本人は自信に掴んだように見えたという。

森下 本人にとって自信になったと思いますね。打球も自分が描いた打球だと思うんですよ。打球も高く上がって、ホームランバッターのような打球だったと思います。

――秋は東海大会べスト4。選抜出場が決まるまでの間、どんなテーマで取り組みどんな練習に取り組んできましたか?

桒原 スイングスピードを高めることにテーマにして、ティーで1球1球を大事に振りにいきました。特に連続ティーはやっていないです。