Interview

Honda 筑川 利希也 選手(東海大相模出身)

2013.04.01

第143回 Honda 筑川 利希也 選手(東海大相模出身)2013年4月2日

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 神奈川・東海大相模の『センバツ優勝』と聞いて、最も記憶に新しいのは、2011年春の第83回選抜高校野球選手権だろうか。センバツ決勝戦では、長田竜斗近藤正崇の登板リレーで、九州国際大付打線を1失点に抑えた。また、バッティングでもチームで、5試合74安打を記録。準決勝では、史上初となる2本の満塁本塁打を放つなど、強打も印象付けた。
 その11年前の春。2000年の第72回選抜高校野球でも、東海大相模は全国優勝を果たした。この時のエースが、筑川利希也(ちくがわ・りきや)。現在は、社会人野球の強豪・Hondaの主戦として登板。4年前の都市対抗大会(2009年)優勝に貢献し、大会MVPを獲得するなど、今でもなお、活躍をし続けている投手だ。

20試合以上のパターンをイメージしてマウンドに上がっていた高校時代

 エース筑川を擁して臨んだ、この年の春の東海大相模も強かった。
 初戦の今治西戦では、シーソーゲームを制した。先発の筑川が7回に捕まり同点とされるも、5対5で迎えた10回裏。筑川がセンターオーバーの三塁打を放ち、サヨナラのチャンスを作ると、次打者の打席で、相手投手の初球が暴投となって、その間に筑川がホームに生還。6対5で勝利を収めた。
2回戦の東洋大姫路戦では、筑川は5者連続三振を奪うなど、この試合で13奪三振をマーク。下手投げの山脇大輔(東洋大-日本生命)と投げ合い、3対2で東洋大姫路を下し、準々決勝へと進んだ。

Honda 筑川利希也選手

 続く作新学院戦では筑川は、
「関東大会でも対戦していたので、ある程度、打者の特徴がつかめていました」と、9回3失点の好投で、9対3で勝利した。
 当時、東海大相模ナインは何を思い、どこを目標にして、センバツに出場していたのだろうか。筑川はこう振り返る。
「秋の関東大会で優勝して、センバツへの出場が、ほぼ当確となった状態で、門馬監督がミーティングで、『出るのが目標じゃない。出場して優勝するのが目標だ』とお話しされました。自分たちもそのつもりでしたし、センバツまでは準備期間が長いので、何をやれば勝てるのかをずっとイメージして練習に臨むことができたんです。だからこそ、一戦一戦に対して、チーム全体に、自分たちの野球が出来れば、勝てるという自信があったと思います」

 “何をやれば勝てるのかをイメージした練習”とは一体、どんな練習なのだろうか。実際に、筑川が当時、実践していた内容がこれだ。

「自分は、試合前に何十試合のパターンをイメージしてマウンドに上がるタイプでした。つまり、自分でマインドコントロールして野球をやっていたんです。だから、なんとなく自分のイメージ通りに試合が運んでいるなということが、常にありましたね。
 方法としては、自分の調子を何通りかに分けます。そこから、試合前に相手のデータはある程度、入ってきているので、この打者はこういう打ち方だから、ここに投げれば、この方向に打球が飛ぶなとか。実際に、対戦したことがあれば、特にイメージはわきますね。それで、自分の調子が良い時はしっかりとコントロールできるから完封できると思ったり、調子が悪いからこれぐらい打たれるだろうなとイメージする。
 寝る前に10試合分。あるいは、試合日まで一週間空いていれば、20試合以上のパターンを考えて頭でイメージするときもあります」

 このイメージトレーニングを筑川が始めたのは、実は小学生の時からだ。少年時代、父親とキャッチボールする時も、常に打者が立っていることを仮定しながら投げていた。
 「ここに投げたら、あそこに打たれた、あそこへ飛んだ」その積み重ねが、高校に入ってからも実践し続けた思考につながっていったという。

「僕は、準備が全てだと思っています。何もしないで負けるのが嫌なんです。色々と準備をして、出しきって負けたなら次につながる。同じような失敗を繰り返したくないので、センバツにおいても、それ以外の大会であっても、すべて準備をして試合に臨みましたね」
 だからこそ、センバツの大舞台で5連投しても、筑川が崩れることはなかったのだ。全国の強打線相手に、粘り強いピッチングが展開できたのだろう。

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決勝戦、最後の一球はみんなが一緒に投げてくれた

 センバツの準決勝は、鳥羽(京都)と対戦した。
「相手も連戦で勝ち上がってきていて、しかも、その前の試合で明徳義塾三木田敬二投手(近大―シダックスーヤマハ)を打ち崩してきていた。あんな好投手を打ち崩せるほどの打線なのかと、試合前から、捕手の菊池一也(東海大-Honda)と一緒に鳥羽打線を警戒していたんです。とくに鳥羽の4番の近澤昌志選手(近鉄―楽天)は記憶に残っていました。それで、インコースを多めに投げていこうと菊池と話して、試合に臨みました」
 この試合、筑川―山本のリレーで終わってみれば、11対1で東海大相模の大勝だった。
 翌日の強打の智辯和歌山との決勝戦でも、先発は、やはり筑川だった。疲れがないといったら嘘になる。この試合、完投した筑川は11安打を浴びた。

高校・大学・社会人で日本一を経験

 「智弁和歌山打線は、全員が好打者で自分のイメージを超えていたので、打たれるか、抑えるか、どちらかに転ぶだろうと思っていました。とくに、3番の武内晋一選手(早大―東京ヤクルト)と4番の池辺啓二選手(慶応大―JX-ENEOS)は嫌でしたね。でも、当時はなんとなく、自分が得意なタイプの打者だったので、フェンスを越えられなければ大丈夫かなと思っていました。
 結果的に、11安打打たれたんですが、野球はランナーを出しても失点を許さなければいいスポーツ。それで、野手陣は必ず外野は越されると思っていたので、点を与えない連携プレーを練って、2点に抑えることが出来たんです。投げていても、バックへの信頼は大きかったですね」

 2対2で迎えた8回裏。東海大相模は、楢原匠の適時打で勝ち越しに成功。さらに、瀬戸康彦のバントヒット。続く、村山修次の内野ゴロが相手のミスを誘って、その間に4点目をあげる。
 9回表、智辯和歌山の最終回の攻撃では、筑川は不思議な思いを感じていたという。

「9回表の二死までこぎつけて、そのあと最後の一球を投げた瞬間、自分の力だけで投げていない感覚を味わったんですよね。正直、体はとても疲れていました。でも、最後の一球は、みんなが一緒に投げてくれたような、そういう不思議な感覚があったんです。『野球って、全員でやるんだな』というのを改めて感じた一球でした」
 筑川は言葉を続ける。

 「僕たちは、東海大相模の人間がみんな同じ気持ちではないと勝てないと門馬監督に言われ続けてきたんですが、正直、『そんなことあるのかな』と思っていたんです。
 だけど、あの瞬間にその意味が分かりました。それは、戦う9人の心が一つになるだけがではなくて、ベンチにいる人、応援している人のすべてのことで。みんなの心をひとつにしていけば、持っている力以上のモノが出せるんだと。あの一球で、その言葉は本当なんだなと感銘を受けました。だから、いま、戦っている高校生のみなさんもそれを信じてやってほしいと改めて思いますね」
 そして、筑川はこの回を無得点に抑え、4対2で智辯和歌山を下し、センバツ初優勝を遂げた。

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センバツ優勝から13年目の春

 あの春の優勝から13年が経った。筑川は、今年で31歳となる。改めて当時のセンバツ大会を振り返った筑川は、こう語ってくれた。
「自分で言うのもおかしいと思いますけど、あの時のチームなら、もう一回やっても優勝できるんじゃないかなって思うんです。あの頃のメンバーは、やると言ったら、とことん練習をしていました。だって、朝練習に参加しなかったのは、僕だけでしたから(笑)僕は、朝7時に起きていたんですが、みんな5時には起きて、寝る暇もないくらい練習をやっていたんですよ。そういうのを見れば、勝って当たり前かなというぐらい野手のみんなには信頼を置いていました」
 また、こんなエピソードもある。

 「高校2年の秋、神宮大会が終わってから、僕は全日本代表に選ばれて、その時に、高校生のトップレベルといわれる選手たちと一緒にプレーしました。その時の代表メンバーには、内海哲也選手(敦賀気比-巨人)や、香月良太選手(柳川-東芝―読売ジャイアンツ)がいました。

 僕は人の観察が好きなので、彼らの行動をずっと見ていたんですよね(笑)その時、思ったのは、もちろん高校トップレベルの選手たちはすごかったんですが、うちの野手陣も負けていないなと。それで、遠征から帰ってきた後に、みんなにこう伝えたんです。『うちの野球をやったら、全国でも十分戦える。全日本クラスに誰が選ばれてもおかしくないよ』って。このメンバーでセンバツに出場すれば、勝てるというイメージがこの時、すでに沸いていました」

 まさに、筑川が思い描いた通りのエピローグとなったのだ。

 

都市対抗で好投するHondaの主戦・筑川

 しかし、筑川が、高校3年の最後の夏は神奈川大会で敗れた。夏の甲子園の舞台には、戻ってくることは出来なかったが、その時の悔しさも、春のセンバツでの思い出も、13年経った今でも、当時の記憶は薄れることはない。

「いまだに、みんな仲が良くて、今でも年に何回か集まって食事をしたり、旅行に行ったりします。監督さんも、部長さんも集まって、食事をしたりするぐらいの仲なので、本当にチームワークが良かったんですよね。
今年は、高校からずっとバッテリーを組んでいた菊池が、去年(Hondaを)引退してしまって、みんなで『お疲れさま会』を開きました。
 そういう時に、みんなから『一年でも長く続けてくれ』と言われると、みんなの分も含め、出来るだけ長く現役でやりたいと思いますね。今までは30歳まで出来ればいいかなと思っていたのですが、そこまで続けることが出来たので、次は東海大の先輩である土井善和(日本生命)さんが41歳まで投げていたので、今はそこを超えたいなという思いもありますね」

 もちろん、プロ野球選手になることも、諦めてはいない。30歳になってから、“プロで投げてみたい”という思いはより強くなった。その思いがあるからこそ、17歳の筑川利希也以上に、より貪欲に野球に打ち込むことが出来るのだ。

【社会人野球ミニ情報】
 筑川投手の所属するHondaは埼玉県狭山市で練習をしています。
5月から始まる都市対抗予選は、高校野球の予選と同じくらい熱く盛り上がります!
高校球児のみなさんも社会人選手のプレーは、勉強になることがたくさんあるはず!もし、お時間があれば、ぜひチームで観戦してみてください。

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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