帝京高等学校 伊藤拓郎選手
第91回 帝京高等学校 伊藤拓郎選手2012年02月20日
2011年秋、横浜ベイスターズから9位指名を受けた伊藤拓郎。東東京代表として出場した09年夏の甲子園で、1年生投手としては大会史上初となる148キロをマーク。この時から、伊藤の名は全国に広まり、一躍ヒーローとなった。2年春のセンバツでは、2試合完投し2季連続8強入りに貢献。
しかし、その後、伊藤は自らの夢を追い求めすぎて、大きな壁にぶつかることになる。
プロへの憧れを追って
“一年の時点で満足している部分があった”
――帝京に入学当時は、どんな思いを持って野球に打ち込んでいたのでしょうか?
伊藤選手(以下「伊藤」) 全国の舞台で投げてみたい、そして何よりもプロに行きたいという思いから帝京に入りました。入学してすぐ、1年夏と2年春の全国大会で投げて、結果を残すことでプロへの憧れが、より現実的に考えられるようになりました。
――高校1年の夏は、甲子園で148キロをマークして注目を集めました。
「伊藤」 あの頃はまだ荒削りでしたが、試合では思いっきり腕を振って投げていたので、スピードも出たのかもしれません。だけど、今振り返ってみると、1年の頃の結果で満足している部分が当時はありました。そのあと、2年夏の予選前にケガをしてから調子を崩して、それから1年間はずっと苦しい時期が続きました。
(参考:2009年 第91回全国高校野球選手権大会)
――チームも勝てない時期が続いたようですね。
「伊藤」 そうですね。2年夏の東東京大会では、5回戦で負けて、新チームがスタートした秋も春も、都大会1回戦で敗退。今まで野球をやってきた中で、一番悩んでいた時期で、プロになれないかもという焦りも出始めて、そこから抜け出すまでが辛かったです。(参考:2010年 第92回東東京都大会、2010年 秋季東京都大会 1次予選)
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“チームを甲子園に連れて行きたい”
――その頃は、前田監督からどんなアドバイスなどもらっていたのですか?
「伊藤」 監督さんからは、「お前はバッターの気持ちが分からないから打たれるんだ」と言われて、外野を守ったり、色んな経験をしました。
最初は、監督さんから言われたことが自分の中ですぐに理解できなかったけど、少しずつ野手の気持ちも考えられるようになっていきました。今、バッターがどういった気持ちなのかを、試合を進める中で感じられるようになったんです。それに加えて、バッターのことだけじゃなく、チームのことも考えられるようになっていきました。
――チームの中の自分の存在や役割に気付き始めたのですね。
「伊藤」 そうですね。2年生の頃までは、自分の夢はプロ野球選手になることで、それを頭に置きながら高校野球をやっていたけど、自分のことだけじゃなくて、チームのみんなを「夏の甲子園に連れていく」ってことだけをこの頃は考えるようになりました。
最後の夏を迎える頃には、自分自身の調子も上がってきて、精神的にもこれまでよりも自信を持って投げることが出来ました。また、マウンドに上がっていない時も、ファーストの守備について周りに声を掛けたり、バッティングでもチームの中心になれるようにプレーしていました。
――その中でも一番変わったなと感じたことって、どんなことですか?
「伊藤」 自分は今まで帝京に来てから、プロのことばかり考えていて、「練習や試合を心から楽しむ」っていう思いを持ったことがなかったんです。だけど、最後の夏に、チームみんなで目標を追う中で、はじめて厳しい練習や試合も楽しいって感じました。(参考:2011年インタビュー 第61回 帝京高等学校 伊藤拓郎選手)
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“環境を楽しむことが夢につながる”
――3年の夏、伊藤投手にとっては三度目の甲子園出場を果たしました。これまでの1、2年生で経験した甲子園と比べると、どんな大会でしたか?
「伊藤」 3年の夏、甲子園では2回戦で負けましたが、悔いはなかったです。チームのみんなで甲子園へ出場できたことのほうが嬉しかったので。高校3年間、苦しいこともあったけど、自分がどんな状態であっても好きな野球をやっているので、もっと環境を楽しむことで、夢に近づけることも分かりました。
いつも自分が楽な気持ちで投げられるように声を掛け続けてくれた同級生と、監督さんに感謝の気持ちを忘れずにこれからもやっていきたいです。(参考:2011年 第93回東東京都大会)
――2011年秋のドラフトで、横浜から9位指名され夢を叶えました。これからはどんな選手としてプレーしたいですか?
「伊藤」 自分は、小学校の時にプロ野球を観に行って、「プロの選手ってすごいな」って思って、そこから野球をやろうと決めたので、自分も子供たちにプレーをみてもらって、それがきっかけで野球を始めてもらえるような選手になりたいです。
(インタビュー:編集部)