聖光学院高等学校 歳内宏明選手
第88回 聖光学院高等学校 歳内宏明選手2012年01月03日
本当に野球が大好きな人だ。
今回、どうしても話を聞きたかったのは、以前、歳内宏明の言葉に心が震えたことがあったからだ。
「興南は研ぎ澄まされた中でやるチームでした。聖光学院も同じ空気なんですけど、興南はどっか太いなって。投げている時は感じなくて、降板して、試合を観ていたら「違うな」って。根性があるっていうか、男らしい。人間として、人として強いなって感じました」
感性とは経験である、と聞いたことがある。あの試合で彼の感性が広がっていたと感じた瞬間、高校野球が終わった時に改めて野球観を聞いてみたかった。
斎藤智也監督は1年生の頃の歳内を「まるでロボットが投げているようだった」と言う。始めから完成された人間はいない。すっかり有名な話になったが、チームを想う先輩の行動から涙したことをきっかけに「血の通った人間になった」(斎藤監督)。様々な葛藤の中で学び、身体も心も、大きく成長。目標としていた「全国制覇」はならなかったが、野球を職業にするスタートラインに立った。
高校野球を振りかえって
気合を入れる聖光学院ナイン
――聖光学院での高校野球を振り返るとどうですか?
歳内選手(以下「歳」) 少しずつ、成長できたかなと思います。兵庫から福島に来て、よかったです。
1年生の時は、ただ投げていただけという感じでした。考えて投げるようになったのは、2年生の春からです。あの時は考えないといけない状況に追い込まれていました。周りの状況的に自分がしっかりしなくちゃという気持ちが強かったので。
――「考える」という言葉が出てきました。それを具体的に教えてください。
「歳内」 配球とかを含めて、投球フォームとか、全部です。「どうやったら上手くなれるんだろう」というのを、やっと本気で考え始めました。特にピッチャーは理屈より感覚的なものが一番、大切だと思うんです。考えて、考えて、感覚をつかんでいくものだと思う。自分の感覚にいろんな人から吸収した感覚を自分のものにしていく。それが、ピッチャーが成長していくということだと思うんです。
2年夏の甲子園の経験~興南から感じたこと~
興南から学んだ事は大きかった
――2年生の夏の甲子園で一気にブレークしました。
「歳内」 初戦の広陵(広島)は相手のピッチャーがよく、試合時間がすごく短かったのであっという間に試合が終わっていました。初めて、全国で名の知れ渡るチームとの試合。広陵という相手に、ただ向かっていくだけで必死でした。自分の中でも本当に強いイメージがあったので、いい意味で無心になっていました。終わった瞬間は、勝ったとか負けたとか、そういう感じはなくて、ホテルに帰って、「まだ試合ができるんだ」という気持ちになりました。2戦目の履正社戦から、甲子園で投げているんだって感じました。
「歳内」 興南はやる前から「ちょっと違うな。そう簡単にはいかないな」と感じて試合に入りました。ある意味、打たれてもビックリはしませんでした。打たれて、やばい、やばい、とはならなくて、やっぱりなというか。まだまだ通用しないなって。
一番、感じたことは、島袋さんは自分たちが先制点を取っても動揺していませんでした。序盤で3点取られたのに、全く動揺していなかった。去年の3年生もそれに近い雰囲気はあって、展開には左右されないチームだったのですが。島袋さんもそうでしたが、野手の人も「あぁ、3点取られた」くらいにしか思っていなかったと思います。自分たちが今、勝っているという実感が、投げていて沸かなかった。3対0でリードしているんですけど、むしろ、負けているんじゃないかというくらいの威圧感がありました。
――歳内君にとって、甲子園のマウンドというのは憧れや目標としていた場所だったのでしょうか。それとも、何か別の思いがあったのでしょうか。
「歳内」 実は、高校に入った時は、あまり甲子園に行きたいという思いはありませんでした。自分はとにかく、プロに行きたいという気持ちでここに入ってきたので、憧れとかまったくなかったです。高校球児として投げるというより、阪神とか、そういうプロに入って投げるのが甲子園だと、自分は思っていました。だから、「甲子園だから緊張した」というのは、全然なかったです。小さい時から夏休みになれば、ほとんど毎日、行っていたので、そのせいもあるかもしれません。甲子園に対して、特別意識というのはあまりありませんでした。
震災と主将~このままじゃダメだ~
キャプテンになり発言もするようになった
――興南はそのまま優勝。その頃、聖光学院は新チームが始まり、最上級生になりました。東北大会は準々決勝で仙台育英に4対7で敗戦。2年生のシーズンが終わりました。
「歳内」 新チームになって、全国制覇という目標が雲の上になっていて、現実味を帯びていなくて。違う世界のことのようでイメージできていなかったんです。でも、力があったので、イメージさえできれば、チームは変わると思いました。
自分が成長したとかではなくて、甲子園が終わって、帰ってきて、いざ新チーム始まって練習試合で投げると3年生とのギャップもありましたし、広陵、興南とのギャップもありました。監督さんにも「それは仕方がないことだと思って入れよ」と言われてはいたのですが、いざやってみると、全国制覇なんて無理だって思った・・・。ミーティングしている時もつまんないなって思っちゃダメなんですけど、何でこんなつまらない話をしているんだろって…。
――キャプテンになって発言をするようになって、チームが変わってきた?
「歳内」 はい、徐々に。聖光学院は、精神的に、人間的にという野球を目指してやっているのですが、みんな、それに落ち着いていたというか、すがっていた。逃げていて、それが見えて腹が立ったんです。それさえやっていればいいという感じでした。そういうことに加えて、野球が上手くなるためにどうするか考えようよって言いたかったんです。
――精神的な部分さえしっかりしていれば、ではなく、野球の腕もしっかり磨かなきゃいけないんだと?
「歳内」 はい。練習は形上やっているようにしか見えなかったんです。人間性の甲子園じゃないので。甲子園は、本当に野球をやりに行く場所だったので。
チームの考え方が変わり、空気も変わった
――そのキャプテンには3月10日に就任しました。翌、11日に東日本大震災が発生。兵庫・尼崎の出身で阪神淡路大震災も経験していますね。
「歳内」 阪神淡路大震災の時は1歳半くらい。食器棚から皿とかが落ちて割れている光景は、なんとなく覚えています。後は、聞いた話でしか・・・。
(東日本大震災は)津波が来たと聞いて、宮城がすごいことになっていて。福島の浜通りは大丈夫かな?と思いました。浜通り出身の選手が家族と連絡を取っていて、「大丈夫」っていうのを聞いたので、福島は大丈夫なのかなって思っていたんです。次の日、新聞を見たら仙台空港が津波ですごいことになっていて、死者も1000人越えていて、びっくりしました。2、3日したら普通に練習して、普通にキャンプに行けるのもだと思っていたので・・・。そういうことが当たり前ではないと、それまでも口では言っていたけど、それを肌で感じました。
毎年、チームを背負うとか言っているけど、今年はチームを背負うことと、福島県、東北を背負う。おこがましいかもしれないけれど、それくらいの気持ちで、ひたむきに全国制覇に向かっている姿を見てもらえればと思っていました。負けても、無様な試合をしても、ただ「頑張った」と思われることだけは、嫌でした。
本気でどうにかなるっていう気持ちの人もいる、甲子園に出れればいいやっていう人もいる。甲子園に出れば、ピッチャーがなんとか抑えれば、俺らでも優勝できるんだろうっていう人もいる。逆に、全国の舞台を経験していない人は、できない、できない、できないと、ただ言っていました。だから、このままじゃ本当にできないよ、できるわけないじゃんというのを言って・・・。そこから空気が変わったっていうのは感じました。
――今の状態ではということ?それとも、そういう考え方ではということ?
「歳内」 力を付けるのは、考え方だと思っています。考え方が意識を変えて、その意識が練習を変えていくと思っているので、考え方と意識は似ていると思うんですけど、どれくらい考えているかだと思うんです。
――それくらい、本気だった?
「歳内」 自分が投げて、勝てるっていうイメージが自分の中にはあったので。でも、それには野手の助けも絶対に必要ですから。
――その夏、福島大会を勝ちあがり、甲子園に帰ってきました。試合は初日に初戦を突破するも、2回戦で金沢に2対4で敗れて目標の全国制覇は達成できませんでした。
「歳内」 悔いではないですけど・・・。何で、ああいう場面でああいうミスが出たんだろうという疑問の方が大きいです。野手には悪いのですが、いつもだったら捕っているはずなのに・・・っていうエラーや自分も、いつもなら抑えていそうなタイプのバッターに打たれた。疑問が多かったからこそ、負けたのかなと思っています。
よく「○○ワールド」という表現でその人の世界観が語られるが、歳内にも人とは違った世界が広がっている。
例えば、「歳内君にとって、甲子園のマウンドとは?」との問いに、
「高校球児として投げるというより、阪神とか、そういうプロに入って投げるのが甲子園だと、自分は思っていました」
「憧れの場所」とか「目標にしていた場所」という言葉が返ってくると思っていたが、やはり、歳内らしい答えだった。
目指してきたプロへの扉を開くまでの歩み、そして、考えを語ってくれたその9日後に行われたプロ野球ドラフト会議で、歳内は阪神から2位で指名された。なんたる運命か。
飽くなき向上心で進む、オンリーワンへの挑戦。
(インタビュー:高橋昌江)