【目次】
1 どう自分を変えていけばいいのか、分からなかった3年間
2 「俺はマウンドに上がった時の気持ちは、お前には負けない」
3 1人で閉じこもるだけでなく、周りのメンバーと関わり合う
4 キャッチャーとの会話を大事に

1人で閉じこもるだけでなく、周りのメンバーと関わり合う」

"『僕もまだ、やれるかな』という気持ちに"

――ここから石田投手の成長曲線が一気に上がっていくのですね。

「石」 そこからですね。周りが見られるようになったのは。今までは、後輩とご飯を食べに行くこともなかったのに、一緒に行くようになったり、休みの日に仲間たちと喋ったり、遊んだりすることが多くなりました。

 練習でも変わりました。後輩にもアドバイスが出来るようになったり、監督やコーチ、先輩に対しても、『今、自分はこう思うんですけど、どうですか?』と聞けるようになりました。これまでは、監督やコーチにピッチング見ていただいている時も、言われたことだけ吸収しようとしていたけど、自分の意見も伝えることが出来るようになったんです。

 監督も、「こいつ、どうしたんだ?変わったな」っていう目でみてくれるようになりました。自分の視野も広がって、楽しいというとおかしいけど、『僕もまだ、やれるかな』という気持ちになっていきましたね。

――日産自動車の休部が決まったのは、その翌年。石田投手が入社5年目の年でした。

「石」 2月に休部の話しがあって、その瞬間は頭の中は真っ白でしたけど、誰も下を向かなかったですね。最後の1年、みんなで頑張ろうっていう気持ちがチームにも生まれました。自分も、投手陣で最年長となって、同期の秋葉と俺でチームを引っ張っていくんだっていう気持ちが初めて生まれました。僕は4年間、東京ドームのマウンドにもまだ立ったことがなかったんです。1イニングも投げていないんです。なおさら、今年は最後の年だし、最後に日産に貢献したいって思いがありました。

 この年、石田は日産自動車の“エース”の座を奪う。都市対抗予選では、第一代表決定戦まで勝ち進むと、三菱重工横浜と対戦。10イニング無失点と好投するも、試合は延長16回引き分けに。この試合で石田と8回まで投げ合ったのは、あの門西だった。試合後、石田のもとに、門西からメールが届いた。「よく頑張ったな。最後にやっと、チームの信頼を得たんだな」――。

 その後、チームは神奈川の第3代表として都市対抗に出場すると、石田は準決勝までの4試合全ての先発を任された。準決勝ではトヨタ自動車に0対1で惜敗。強打線を相手に、7回を投げ自責点1と好投をみせた。また、現在開催中の都市対抗大会でも初戦で白星を挙げている。

 最後に、そんな石田が意識を変え、行動も変えていく中で、投手としてどんな変化があったのか尋(たず)ねてみた。