千葉ロッテマリーンズ 大嶺祐太選手
第71回 千葉ロッテマリーンズ 大嶺祐太選手2011年07月21日
06年、沖縄の石垣島から、春・夏連続で初の甲子園に出場した八重山商工。当時のエース・大嶺祐太は、春のセンバツでは17奪三振、夏は最速151㌔をマークするなど話題をさらった。そんな大嶺に、最後の夏の地区予選。そして甲子園での思い出を語ってもらった。「もうマウンドに上がりたくない」と、自信をなくした夏の甲子園の舞台。そんな大嶺に勇気を与えた一言とは?
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【目次】
■ライバルを破った夏の準決勝
■智弁和歌山戦の前夜の約束
■道具のこだわり
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ライバルを破った夏の準決勝
“最後は『楽しもう』っていう気持ちで”
――高校3年生、最後の夏の地区予選。一番思い出に残ってる試合は、どのカードでしょうか?
大嶺選手(以下「大」) 小さな島から春は甲子園に出て勝ったということで、夏も甲子園に行って当たり前という雰囲気がありました。それでも夏は、春と違って1つのミスが本当に命取りになる。もちろん、プレッシャーは大きかったですが、試合で誰かがミスしたら、他の仲間がうまくカバーして今までにないほどのチームワークで戦うことができました。
とくに、浦添商との準決勝はハッキリ覚えています。みんなこの1試合に3年間を賭けていましたから。実はこれまで浦添商に、僕らは3年間で1度も勝ったことがなかったんです。
――これまで乱打戦の末、浦添商に敗れてばかりいた八重山商工でしたが、夏の準決勝では1対0の投手戦でついに白星を挙げるのですよね。
「大」 浦添商に勝ったあとの決勝戦は、もうみんな気力も体力も使い果たしていました。だから、決勝の中部商戦は『何とかなるだろう』って。最後は『楽しもう』っていう気持ちで試合に挑んでいましたね。
――大嶺投手は、決勝戦では9回3失点で見事、優勝投手となりました。春に通じて、2度目の甲子園。どんな印象を受けましたか?
「大」 僕は沖縄商が甲子園で優勝したときから、ずっと憧れていた舞台だったので、まさか春夏通じて、甲子園のマウンドに立てるとは思いませんでした。
――夏の甲子園では、どんな思い出が残っているのでしょうか?
「大」 春は納得のいくピッチングが出来ましたが、最後の夏の甲子園は調子が悪かったんです。球速も出なくて、真っ直ぐを投げても空振りやファールもとれない。点数も取られたし、初戦の千葉経大付戦の最中に、正直もうマウンドに上がりたくないって思ったほど苦しかった。
それで、2回戦の松代戦では先発を外されるんです。でも終盤に、抑えでマウンドに送られるんですが、また点数を取られる。完全に自分のピッチングに自信をなくしていました。
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【目次】
■ライバルを破った夏の準決勝
■智弁和歌山戦の前夜の約束
■道具のこだわり
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智弁和歌山戦の前夜の約束
“みんなに会っていなければ、
僕は高校まで野球をやっていなかったかも”
――続く3回戦の智弁和歌山戦でも、先発を任されていましたね。この時は、どんな思いでマウンドに上がったのでしょうか?
「大」 前日のミーティングで監督から『明日の先発はお前だ』と言われました。だけど、今の自分が投げたらチームに迷惑が掛かるから、夜に監督のもとに言って『自分はマウンドに上がりません』って断ったんです。そしたら、監督からこう言われました。
『お前で負けたらしょうがない。楽しんで投げろ』。その言葉を聞いて、翌日の試合では調子が悪い中でも100%の力を出すことが出来ました。そして、調子が悪くても自分の力を100%出せれば後悔しないんだということにも気付きました。
――結局、その試合では3対8で敗れた八重山商工ですが、初出場ながら春夏通じて甲子園で3勝を挙げましたね。なぜ、あの年、八重山商工にはあれほどの“強さ”があったのでしょう?
「大」 今でも、島に帰ると『なんで俺たち勝てたのかな』ってそんな話しをしたりしますよ。だけど、チームワークだけはありましたね。みんな小学校からずっと一緒だったから、夏の甲子園で負けたときも“これが最後”って気がしなかった。
また次も、また明日も出来るんじゃないかって。僕がプロに入る時も、他のメンバーが社会人になっても、来年はまた一緒に出来るんじゃないかって、そんな感覚のままでした。
――改めて八重山商工で過ごした3年間を振り返って、どんなことを得られたのでしょうか。
「大」 伊志嶺監督にもたくさん怒られて、色んなことがありましたけど、やっぱり楽しかったです。最後の夏は、負けて悔しかったけど、涙が出るほど悔しくは思わなかったんですよね。伊志嶺監督と、そしてあの仲間と出会えたこと。みんなに会っていなければ、僕は高校まで野球をやっていなかったかもしれないなって思うことがあるんです。
伊志嶺監督も小学校2年生から野球を教えてもらって、もう親みたいな感じですよね。肩が痛いのを黙って投げていても、すぐに気付いてしまうほど。今でも帰ると、野球のこと以外で怒られたりすることもあるんですけど。監督は僕にとって本当に大きな存在です。
――熱い高校3年間を過ごされた大嶺投手ですが、プロに入ってから、高校時代にもう少し意識して練習していれば良かったなと思われることはありますか?
「大」 そうですね。もうちょっと、考えながら野球をやっていれば良かったなと思いますね。それは常に感じています。野球の技術、トレーニング、体の使い方。そういった面で、もっと勉強していればって思いました。
今は、あの頃よりも野球の知識を得たので、高校時代の自分のフォームのいい面も悪い面も分かる。もし今、高校時代のフォームで投げてみろって言われても、もう投げられませんけどね。
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【目次】
■ライバルを破った夏の準決勝
■智弁和歌山戦の前夜の約束
■道具のこだわり
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道具のこだわり
“グラブやスパイクは、とにかく軽いものを”
――大嶺投手は、グラブに石垣島の形の刺繍を入れていると伺いましたが、今もそのグラブを使われているのですか?
「大」 実は今年からデザインの規制が厳しくなって、今は使っていないんです。今は、黄色のグラブと、軽量感のあるグラブが欲しくてミズノのグローバルエリートを使っています。やはり体に負担をかけないためにもグラブや、もちろんスパイクも、とにかく軽いものを選ぶようにしていますね。
――大きさにもポイントはあるのでしょうか?
「大」 僕は小さめのグラブで、手の甲がグラブから出るサイズで選んでいます。そのほうが、ボールさばきもしやすくなるので。だけど、ポケットの下の部分は、広めにしています。チェンジアップなど投げるときにバレてしまうので、そこはしっかりと隠れるようにしていますね。
――スパイクにも、こだわりはあるのですか?
「大」 1スパイクの場合は、足を上げるときに疲れてくるので、グラブと一緒で軽量感は大事にしています。また、僕のスパイクは左足と右足の歯の枚数が違うんです。踏み出した時の足の感覚の違いなんですが、しっかりと踏み出せるように左足のほうが歯が多く付いています。
――道具にも色んな工夫が詰まっているのですね。では最後に高校球児にメッセージをお願いします。
「大」 その日、その日で調子の良い悪いは変わるけど、出せる力を全て出して、納得のいく負け方をしてほしいですね。全国で優勝した選手にだって後悔はあると思うんです。「あの時こうしとけば良かった」「あそこで打っていれば良かった」とか。だから、そうやって後悔することを1つでも少なくするために、最後の夏は力を出し切って戦ってほしいなと思います。
いつか、またあの仲間たちと青い空の下で白球を追いかけたい――。
そんな思いを抱きながら、石垣島の仲間に笑顔を届けるために、プロ1軍での活躍を誓う。
(文・インタビュー:編集部)