Interview

東北福祉大学 吉田雅俊選手

2010.08.09

第55回 東北福祉大学 吉田 雅俊 選手2010年08月10日


東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

第92回甲子園大会記念企画!!~甲子園を沸かせたヒーロー達~
第55回は、東北福祉大学 吉田 雅俊選手です。

 当たり前だけど、野球は、最低でも9人が必要だ。一人の力だけで勝ち上がるのは難しい。
 1年前の夏。新潟県を制し、甲子園に乗り込むまでは、49地区代表の1校にすぎなかった日本文理。それが、日を追うごとに、「え?新潟が?」と高校野球史を揺るがす快進撃を続けた。
 甲子園の決勝に進んだだけでも快挙とされたチームが、その決勝戦でまた、ドラマチックな試合を創り出した。
中京大中京との決勝戦。6点を追う9回表に1点差まで詰め寄る、驚異的な粘りを見せたが、勝利まではあと2点足りなかった。それでも、たくさんの人々の心を震わせた1戦だったはずだ。
新潟の高校野球史を変えたチームの4番の素顔に迫る。


吉田 雅俊

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

  あらゆる出来事を力に変えて、吉田雅俊は4番の座を射止めた。高校最後の夏、決勝戦に進出したチームの打線の“顔”。目立った活躍はなかったが、それはそれで、いい味を出していた。目立ちすぎない4番。それが、つながる打線のキーポイントだったのかもしれない。

1991年4月15日、伊藤より1日早く生まれた。2つ上に兄、3つ下に弟という、三兄弟の真ん中。「今に比べると、だいぶ、やんちゃでしたよ。弟の友達にちょっかい出していじめていました。あとは、ぬか(米殻)に飛び込んだり。でも、入るたびに後悔していましたね、チクチクして(笑)とにかく、外遊びが大好きでした」。実家は兼業農家だという。

 「タメはそんなにいなかったんですけど、先輩とかと神社で野球をやっていました。神社が結構広くて、こんにゃくボールで野球をやっていました」。

 友達のお兄ちゃんたちに交じって、楽しく元気に駆け回った。野球を本格的にやろうとは思っておらず、「遊び」の中の一つにしかすぎなかった。

 それが、ちょっとしたきっかけで少年野球チームに入ることになる。

「兄貴の野球チームを見に行っていたら監督さんに「お前もやれ」って言われて」
 4年生でチームに入った時、兄は6年生にいた。最初に守ったポジションは外野。6年生が引退するとキャッチャーになった。

 小合中学時代はNGMシニアでプレーした。
 「隣町のシニアで、親には反対されました。幼なじみが入るということで『お前もどうだ?』って誘われて見に行きました。でも、親を説得しても断られたんです。でも、『遠いし、お金がかかる。そんなところに行ってもダメ』って言われたんです。でも、『頑張るから。途中で辞めたりしないし、最後までやり抜くから』と言って、説得しました」。

 練習は毎週水、木、土、日。水、木は18時から20時まで室内練習場で、土、日は練習試合が組まれたり専用のグラウンドで一日練習したりした。

 「厳しかったです。走る系が多くて、ノックが厳しかったですね。守備重視で、バッティングより時間を使っていました」

 それでも、バッティングは好きだった。「軟式バットから硬式バットになって、最初、バットが重かったです。思うようにいかなかったんですけど、家でも素振りして、妥協しないでやっていました。練習も素振りが多かったんですけど、妥協しないで。監督とか見ているので、気を抜けなかったっていうのもあるんですけど、それプラス、1年生の時、試合に出ていなかったので、2年生になったら出たいっていう気持ちが強かったです」。

 努力が実り、2年生になると試合に出るようになった。

 学校では、一緒にシニアに入った幼なじみと卓球部に所属した。「今でも普通の人より上手いと思いますよ」と笑う。全校生徒が100人に満たない学校で、男子が入れる部活はサッカー、野球、卓球、吹奏楽のみ。サッカーは強豪で、野球は硬式をしているから入れず、「吹奏楽は・・・」。消去法で卓球部だった。また、「道具も買わなくてよかったから」。ラケットは学校にあるのを使用すればよかった。練習は「ちょこちょこ出ていました。たまには出ないと先生に怒られるので」。当然、試合に出たことはない。「さすがに、毎日、練習していたやつにはかなわないですよ」。

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

 シニアが終わると遊びまくった。

 「夜に家を抜け出して、ばれないようにですよ。自分の部屋、1.5階みたいなところにあるので下に飛び降りられるんです。ちょっと足が痛いですけど。「もう、寝るから、おやすみ」って言ってから窓をそっと開けて、ピョンと飛んで。忍び足で小屋まで行って、自転車に乗って。花火したり、川で夜釣りしたり。友達の家での泊まりも覚えました。あれ、楽しかったですね。5、6人くらいで朝までしゃべって」。

 スリル満点の夜遊びは楽しかった。遊びの楽しさで充実感はあるけれど、進路には迷っていた。そんな頃、日本文理が北信越大会で優勝。センバツ出場をほぼ決めていた。「県大会でも敵なしで強いなと思って。自分、とにかく甲子園に行きたかったので、甲子園に一番近いかなと。文理がだいぶ、輝いていたんで。ここしかないって思って」

 しかし、シニアの時のように親の壁が立ちはだかった。「これまた、親に言ったんですけど、私立なので、経済的に厳しいって、しんみり断られて・・・迷ったんです。シニアの地元にあった五泉と迷ったんですけど、最後は『好きなところにいけ』って言われて。最終的に薦めてくれたので、文理に決めて、一般推薦で受けました」。

 無事、合格。晴れて、憧れて門をたたいた日本文理で、甲子園を目指す高校野球生活がスタートした。

 


日本文理 【高校時代】

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

「中学校にはなかった上下関係があって、言葉遣いに戸惑いがあったり、寮生活にも慣れるのに苦労したし、最初は厳しかったです。慣れたのは1年生のちょうど、この時期、夏の大会前辺りには慣れました」

  ベンチ入りできたのは2年夏から。「練習試合で結果を出そうと思ってやっていて、だけど、秋とか春とかいいとこまでいったんですけど、結局、ダメで。最後になると落とされて」。ベンチ入りできるかどうかのライン際に到達はするものの、あと一歩で及ばない日々が続いた。

「2年生の春、負けたんですよ」。春の県大会、1回戦で新潟県央工に0-4で敗れた。「ゼロ点に抑えられたんですよ。自分とか、タメの人とか一生懸命バッティングピッチャーしていたのに全く打てなくて、本当に悔しいっていうか、なんで、こんなに打てないんだって。絶対、今度は俺らが出て打ってやるみたいな感じで。それがよかったのかわからないですけど、結局、夏、ベンチに入れました。自分たちの代でキャプテンになった中村(大地)っているんですけど、そいつと、スタンドで『なんだ!?バッピして肩、ボロボロなのに。夏入って、俺らが打とう』って言って、頑張って、夏は一緒に入りました」

 試合で打ってくれることを願い、来る日も来る日もバッティングピッチャーで投げ続けるも完封負け。チームの負け、仲間が打てなかったこと、いろいろな悔しさを発奮材料にして、夏はベンチ入りにこぎつけた。

 そして迎えた夏。2、3回戦と3番・レフトで先発出場する。「そこそこ打ったんですけど、あまり調子良くなくて、最終的に(高橋)義人が準々決勝と準決勝が先発で、自分はベンチに下がりました」。準決勝は、春の県大会1回戦で敗れた新潟県央工と対戦した。しかし、またも0-4で負けた。「自分、先発じゃなかったんです。ベンチから見ていましたが、やっぱり、強かったです」。

 新潟県央工はそのまま新潟県を制し、甲子園に出場した。

日本文理は新チームとしてスタート。秋季県大会で先発出場はなく、控えだった。「自分、あまり調子よくなくて。でも、代打でだいぶ打って、その後の練習試合でも打って、そこから4番に定着しちゃった感じです」。秋季県大会決勝では代打で決勝タイムリーを放つ活躍を見せ、チームを優勝に導いた。4番・ライトで定着した北信越大会でも優勝し、明治神宮大会に出場。鵡川(北海道)に6-11で敗れ、2年生のシーズンは終わった。

3月、センバツで初めて、甲子園の土を踏んだ。初戦は清峰。後に広島入りする今村猛と対戦した。「あんないいピッチャー、初めて見ました。すごかったです。夏の甲子園を振り返っても、センバツの今村が一番良かったです。スピード、制球、変化球、すべてがすごかったです」。

 0-4で敗れ、初めての甲子園は終わった。

 春季県大会を制し、夏に勢いを付けた。夏の新潟大会も通過。再び、甲子園に戻る権利を得た。

 「初戦を勝ち、3回戦の日本航空石川は招待試合かなんかで対戦していて、勝っていたチームだったので、気持ち的に楽に挑めました。準々決勝からですね。勝ちを意識するっていうか。立正大湘南に勝って、準決勝にいって。でも、目標は全国制覇だったので、全国制覇できるんじゃないかって気持ちになってきて。で、準決勝を勝って、決勝に行っちゃって。相手、中京大中京で『もうここまで来たんだから、最後、どんな形であれ、自分たちの最後の力を出し切ろう。絶対に気負わないで、優勝を狙うぞ』って感じでした」

 決勝戦、1回裏に2点を先制されたが、2回表、吉田がレフト線へ2ベースヒットを放ち出塁する。「甘かったんですけどね。高めの、あれジャストミートしたかったんですけどね。先っちょだったんで、ライン切れなかったんですけど」。納得のいくヒットではなかったが、回の先頭打者として出塁した。「あいつ、すごいんですよ」と脱帽する5番・高橋義人の右中間へのタイムリーでホームを踏んだ。3回表には当時2年生だった高橋隼之介が同点ソロをかっ飛ばす。試合が動いたのは6回。中京大中京が打者11人の猛攻で6点を挙げた。7回表に1点を返すも、その裏に2点を加えられた。8回表に相手の暴投で1点を返すも、8回を終了した時点で4-10と点差が開いていた。

 しかし、9回表、日本文理は2死から球史に残る怒涛の攻撃を見せる。

 1番・切手孝太が四球で歩き、高橋隼之介への4球目で盗塁。高橋隼は左中間へタイムリー2ベースヒット。さらに3番・武石光司がライト線へタイムリー3ベースヒット。ここで4番の吉田に打席が回ってきた。1ボールからの2球目、三塁ベンチ前にファウルフライを打ち上げた。取られたらゲームセットだったが、ここで命拾いをする。そして、3球目。「悲しいです。貢献したかったですね、打ってつなぎたかったです」。結果は死球。中京大中京はここで堂林翔太から森本隼平にスイッチ。その後も四球や2本のヒットで1点差に詰め寄った。
最後は8番・若林尚希がサードライナー。9回に5点を奪う反撃を見せるも、9-10で敗戦。全国準優勝の銀メダルが胸元に光った。


東北福祉大学 【大学時代】

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

 野球一色の高校生活。「寮がめっちゃ楽しくて。ゲームしたり、とにかく寮が面白かったです。学校生活はきびかったですね。勉強もしなきゃいけなかったので。授業は、体育以外は無理でした。先生もみんな野球部のこと好きなんですけど、厳しいんです、逆に。甘えさせてくれないっていうか、野球部なんだからしっかりしろって」。

 甲子園が終わると進路を考えなければならなかった。進学先は決まっていなかったが、心には2年秋から憧れていた1つの大学があった。東北福祉大。明治神宮大会に出場した際、大学の部で準優勝していた。

 「自分は東京六大学、関東や関西には行きたくなかったんですよ。それに東北の、仙台って魅力があっったんで。そこで強いチームあるんだなって意識し始めました」

 「東北福祉大でやりたい」1つの大きな目標を持った。それにしても、運命とはいかなるものか。時期は避けるが、伊藤の「東北福祉大行き」が、先に決まっていた。「福祉に行きたい」と周りに言っていたため、伊藤から「俺、決まっちゃった。お前もこいよ」と軽ーく言われた時、ショックだったことは言うまでもない。だが、甲子園での活躍もあり、憧れて希望した大学でプレーすることになった。

 高校3年間、5回ある甲子園出場のチャンスで2度、プレーすることができた。絶対に、甲子園に行かなければならなかった。

 2007年1月25日、上越で3日間行われたスキー授業の帰りのバスの中で携帯電話がなった。着信はお父さんから。でも、出られるわけがない。「何?」とメールを打った。

 「お母さん、死んだから」-「帰りのバスだから、学校に帰ったら電話するから」

 覚悟は出来ていた。「秋くらいに入院して。その時は自分、まだ何とも思っていなかったんですけど、11月の終わりくらいに親父から『お母さん、1ヶ月、持つか持たないかくらいだな。1月の元旦ぐらいだな』って言われていて。でも、2ヶ月もったのかな。病院に行っていて、だんだんしゃべれなくなったりとかして…分かっていたので」

 入院してからは練習の合間をぬって、病院に通った。冬休みは練習が終わると、毎日、通った。病院に寝泊まりして看病していたお父さんが迎えに来てくれた。

 ちょうど、はい上がろうとがんばっていた時期。

 「目標としては、絶対にこのチームで中心の選手になりたいと思っていました。(4番を打つことになって)まさかとか思わなかったですけど、入学当初から思えば、信じられなかったですね」

 春はスタンドで悔しい思いをしたが、夏はベンチ入り。

―お母さんのことが活力になった?

 「だいぶ、だいぶ、大きいです。甲子園に行きたがっていたので。しかも、高校に入ってから自分がプレーした姿、見せたことがなかったので。やっぱり、それも強く思って、何が何でもベンチに入らなきゃダメだろって」

 ベンチ入りを得て、試合に出るようになり、4番を打つまでになった。最後の夏は準優勝まで登り詰めた。

 「結果もお母さんのお陰があると思っているんです。高校に入る前、親父が『ダメ』って言ったんですよ、文理に行っちゃ。自分が悩んでいる時にお母さんが『好きなところに行きなさい。経済的なことは気にしなくていいから。私からお父さんには言っておくから、もう1度、お父さんに言ってごらん』って。次、お父さんに言ったら、お母さんが言ってくれたのか分からないですけど、『じゃあ、いいよ。好きなところに行け』って。それもやっぱり日本文理に導いてくれたっていうか、最終的には自分で決めたんですけど、道を開いてくれたのはお母さんですから。なので、福祉大に入ったのも、いろんな大学があったんですけど、何かあると思うんですよ」

 何かある――きっと、東北福祉大に導いたのも、お母さんだったと思わずにはいられない。

「準優勝していなかったら福祉に来ていないと思う」

東北福祉大に進学したいとお父さんに言った時、「もう、イケイケでしたよ、甲子園準優勝したんで(笑)『おー、行け、行け。お前の好きなところに行って、プロになれ!プロに!』って感じで(笑)無理、無理、無理と思いながら『お、わかった、わかった』って言って」

いつも背中を押してくれたお母さん。姿はないけど、甲子園での準優勝という結果に、見えない力で東北福祉大へ導いてくれた。そう、思わずにはいられない。

「恵まれているっていうか、幸せだと思いますよ。(大学に)来たくても来られなかった人、結構、いるんじゃないですか。自分が望んだところでやれているし、今のところ、何一つ不自由していないので。幸せだと思います。とにかく、この4年間を大事なものにしていきたいなと思っています」

だから、がんばる。

大学での公式戦デビューはまだ。甲子園で準優勝したチームの4番だからといって、レギュラーの確約はない。しかも、全国各地から集まった猛者たちばかりでライバルが多い。でも、絶対に負けない。


道具へのこだわり【グラブ】

絶対、ミズノじゃないと使いません。吉村モデルかイチローモデルがいい。大きめが好き。

外野なので、軽いほうがいい。ポケットが深いほうがいい。

球児へのメッセージ

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

【今、甲子園で頑張っている球児へ】
「甲子園で勝つにはチームワークが大切です。甲子園は自分を育ててくれる場所。無理していいところを見せようとしないで、今までやってきたことを思い返してプレーしてください。今さら技術面の大きな向上は見込めません。ホテルでの過ごし方も大事になってくるし、最後は感謝の気持ちが大切。甲子園で野球をできるということは、親や連れてきてくれた監督、コーチのお陰です。感謝をしながら仲間を信じて思い切ってプレーしてください」

【新チームとしてスタートした球児へ】
「目標は甲子園だと思います。代々強いチーム、そうでないチームといろいろあると思うけど、共通して言えるのは、野球の練習よりも私生活や学校生活が大事だということ。それがよければプレーにつながってくると実感しました。野球の練習も大事だけど、勉強も寮や家での態度もだらしなくしないで厳しくすれば、おのずと野球の技術や精神力が上がると思います。そういうところをしっかりして、頑張ってください」

(文・インタビュー:高橋 昌江)

[:addclips]

■特別企画
東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

東北福祉大学 吉田雅俊選手 | 高校野球ドットコム

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

関連記事

応援メッセージを投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

RANKING

人気記事

2024.03.28

大阪桐蔭、大会NO.1右腕に封じ込まれ、準々決勝敗退!2失策が失点に響く

2024.03.28

中央学院が春夏通じて初4強入り、青森山田の木製バットコンビ猛打賞も届かず

2024.03.28

【センバツ準々決勝】4強決定!星稜が春初、健大高崎は12年ぶり、中央学院は春夏通じて初、報徳学園は2年連続

2024.03.28

健大高崎が「機動破壊」以来、12年ぶり4強、山梨学院は連覇の夢ならず

2024.03.28

星稜・戸田が2安打無四球完封で初4強、阿南光・吉岡はリリーフ好投も無念

2024.03.23

【春季東京大会】予選突破48校が出そろう! 都大会初戦で國學院久我山と共栄学園など好カード

2024.03.24

【神奈川】桐光学園、慶應義塾、横浜、東海大相模らが初戦白星<春季県大会地区予選の結果>

2024.03.23

【東京】日本学園、堀越などが都大会に進出<春季都大会1次予選>

2024.03.27

報徳学園が投打で常総学院に圧倒し、出場3大会連続の8強入り

2024.03.25

異例の「社会人野球→大学野球」を選んだ富士大の強打者・高山遼太郎 教員志望も「野球をやっているうちはプロを狙う!」父は広島スカウト

2024.03.08

【大学野球部24年度新入生一覧】甲子園のスター、ドラフト候補、プロを選ばなかった高校日本代表はどの大学に入った?

2024.03.17

【東京】帝京はコールド発進 東亜学園も44得点の快勝<春季都大会1次予選>

2024.03.11

立教大が卒業生の進路を発表!智弁和歌山出身のエースは三菱重工Eastへ、明石商出身のスラッガーは証券マンに!

2024.03.23

【春季東京大会】予選突破48校が出そろう! 都大会初戦で國學院久我山と共栄学園など好カード

2024.03.01

今年も強力な新人が続々入社!【社会人野球部新人一覧】