第14回千葉ロッテマリーンズ 渡辺俊介 選手2008年05月07日


インタビュー

今回の独占インタビューは、サブマリン投法でおなじみの渡辺俊介投手にお願いしてきました。渡辺投手の人生観をしっかり聞くことができました。


野球に出会ってから

スタッフ(以下 ス) 早速なのですが、渡辺投手が、野球を始めたきっかけとは何ですか?

渡辺(以下 渡) そうですね〜。オヤジが、大学まで野球をやっていたので、たぶん僕にも野球をやらせたかったと思うんですよ。小学校に入る前からキャッチボールもやっていましたし、チームに入る時も小学校1年生の時で、自然と入れたので、いつの間にか(野球を)していた、という感じでしたね。

 英才教育って感じですか?

 いや、そんなんじゃないです。田んぼとかで、球拾いとか、していました(笑)

 始めた時から、プロ野球選手になると、いう感じだったのですか?

 いえ。始めた頃は、ライトだったし、僕のチームもよくコールド負けするようなチームでした。6年生になると自動的にレギュラーになれるといった、学校で3つあるうちの軟式のチームの一つに入っていたと、いう感じだったんで。

 中学校は、軟式をやられていたのですか?

 軟式です。中学校のチームの。

 高校は、国学院栃木高校に入学されてますが、国学院栃木高校を選ばれた理由などあったのですか?

 え〜と・・・オヤジが、国学院栃木出身なんですよ。それが、一番ですね。後は、新田高校のセレクションも受けましたが、結局、国学院栃木にしましたね。

 後、何校か推薦を頂いたりしたのですか?

 いや、無いですね。同じチームの中学校の時エースだった奴が、結構いろんな高校から、声掛かっていた感じでしたけど、結局そいつと一緒に国学院栃木に入学するようになりました。

 では、一般入試という形で入ったのですか?

 いや、一応推薦入試ですかね。アンダースローだから面白いかなって感じですかね(笑)

 なるほど。後、高校の時エースピッチャーじゃなく、2番手という形で、活躍なさっていたようなのですが、その時から大学にかけてのお話を、聞かせてください。

 僕は、エースナンバーを付けた事が無いんですよ。中学校も小学校もエースでは無かったですからね。 でも、国学院栃木の時は、ダントツ優勝候補にあげられていましたが、夏の大会では、県大会三回戦で負けてしまったから、皆、拍子抜けしてしまったんですよ。だから、レギュラーの人間は大体、大学に進学して野球を続けたんじゃないですかね。

それぐらい皆、推薦とかでも入れる実力者が揃っていたんで。僕自身は、アンダースローを少しつかみかけている段階だったので、「もったいないな、もうちょっと続けてやってみたいな」っていう気持ちがありました。元々大学には、進学したいと考えていたし、大学でも野球を続けたいと思っていました。

また、関東大会の時に、エースの小関(現:横浜ベイスターズ)が「肘が少し痛い」と、訴えていた時があって、僕が投げて、優勝し、完封勝利を挙げた時に、一気にいろいろな大学からスカウトが来たんです。でも、その中で国学院大学が一番早かったので、国学院に進学しました。専修と国学院と悩んだんですけど、オヤジもまた、国学院大学でしたからね。

 お父さんとずっと同じラインで、進学されていった感じだったんですね。少し話がずれますが、高校時代の練習で、野球選手になっても、自分に活きている練習方法あったら教えてほしいんですが。

 ん〜、よく走りましたね。下半身強化は、練習でよくありました。今、全く同じメニューをやっているといったことは、無いですけどね。ただグランドが、山の方にあったんですよ。階段や坂道やら、ものすごい量あったので、迷惑なくらい(笑)太平山という神社があるんですけど、そこの階段行って帰ってくるのに何分くらい掛ったかな・・・ちょっと忘れましたけど、相当掛かるんですけど、50往復って名物練習もありましたね。

 そういった練習が基礎となって、今に活きているという感じですかね?

 走り込みというか、下半身強化、バランスを取るといったトレーニングは、高校生の頃から既に、意識はしていましたし、アンダースローは、特に下半身のバランスがないと出来ない投法なので、練習の場所としては、恵まれた環境で、練習出来たと思いますね。自転車で、学校通うくらいでも、足がパンパンになるような通学路だったんで、坂道ギリギリ遅刻しないように通学していましたね(笑)