目次

[1]辞めることも考えた高校野球
[2]熱量に打たれ、大学準硬式の世界へ


 大学準硬式野球界にとって初となる甲子園で開催される大会、全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦甲子園大会が13日に開催される。全国各地から選出された選手たちが、1日限りの夢舞台を盛り上げる。

 東日本選抜と西日本選抜の2チームに分かれて戦うが、東日本選抜に要注目の剛腕がいた。

辞めることも考えた高校野球



慶應義塾大・日比谷 元樹

 連盟のリリースでは、最速149キロと明記。大学準硬式の枠にとどまらず、硬式の世界でも通じるのではないか、と思わせる逸材の名前は慶應義塾大の日比谷 元樹投手(3年=慶應義塾)だ。

 小学2年生から野球をはじめ、中学生まで軟式野球でプレーしてきた。その後、強豪・慶應義塾へ進み、最後の夏は控え投手としてベンチ入りも果たした。エースになることはできなかったが、神奈川県を代表する強豪でベンチ入りをつかむのは、並大抵のことではできない。高校時代から秘めたるポテンシャルを見せてきたかと思われるが、実はそうではないという。

 入学当初は最速120キロ中盤くらい。突出したスピードはなく、その後、新体制になった1年生秋の時で126キロと剛腕投手の片鱗は見せることはなかった。それどころか、1年生秋から、捕手へのコンバートを命じられていた。

 「そのときはキャッチャーをやることに前向きではなく、ピッチャーに戻りたかったので、『やめたいな』と考えたこともありました」

 モチベーションを高めることができず、練習に対して中途半端になることも多かったという。サポートに回ることも多く「何のためにグラウンドに来ているんだろう」と、決して主体的ではなく、受け身で野球に取り組んでいた。

 それでもチーム事情により、2年生の秋から投手へ復帰。捕手をやっていたことで鍛えられた地肩を駆使しても129キロ。スピードに大きな変化はないが、指導者、選手間で教えてもらったことを取り入れていくうちに、春は133キロまでスピードを伸ばし、集大成の夏は136キロに届き、控え投手としてチームの戦力になっていた。

 夏は4回戦でその年の優勝校・東海大相模(神奈川)に敗戦。夢舞台・甲子園には手が届かなった。しかし、「投手に戻ってからは充実感がありました」と本来やりたかった投手というポジションで最後の1年間できたことに、どこか満足感があった。