目次

[1]高校の恩師の勧めで台湾へ
[2]無名選手が台湾で開花

 2022年プロ野球ドラフト会議が20日行われた。支配下登録選手69人が指名され、中日と広島が最多の7人を指名した。育成選手は57人が指名されたが、その中でサプライズ指名といわれたのが、楽天が育成4位で指名した永田 颯太郎内野手(台湾体育運動大)だ。

 永田は台湾の大学球界では名が知られた存在で、好守備集の動画が特集されているのを昨年末にたまたま見つけて驚いた記憶がある。日本人ということで、オンラインでインタビューをしていた。彼はどんな道のりを歩んだのか。

高校の恩師の勧めで台湾へ


 愛知県東海市出身の永田は、小学校1年生から野球を始めた。上名和ライオンズでプレーし、小学校の時は中堅手だった。
「当時から足と肩の強さには自信がありました」。そして、名和中学校では、軟式でプレーし、遊撃手と投手を兼任。4番打者として活躍する。

 そして菊華に進むきっかけについてこう語る。
「僕のお父さんの兄にあたるおじさんが菊華高校に勤めておりまして、おじさんが渋谷監督さんに僕のことを紹介してもらい、進学することになりました」

 高校1年夏からベンチ入りし、当時は外野手で、3年生から遊撃手に転向するようになった。高校時代について「打撃に自信があった」と振り返るように、3番打者として活躍。最後の夏は中京大中京に敗れたが、「個人というよりチーム団体で強いと感じて、チームの力で負けてしまったなと思います」と振り返る。

 その後、永田は菊華と同じ学校法人である名古屋産業大にいったん進学したが、国立台湾体育運動大に進むためのものでもあった。

「渋谷監督から、国立台湾体育運動大への推薦をしていただきました。台湾では大学の入学が9月になりますので、僕が卒業した3月から9月まで時間がありますので、入学の間、菊華と同じ学校法人である名古屋産業大に在籍していました」

 渋谷監督は、国立台湾体育運動大の校長先生と面識があり、そこで才能のある永田を推薦したということであった。最初は悩んだが、当時の永田の状況では日本の強豪大の野球部に進むのは厳しい立場だった。そこで実際に大学の環境を目にし、台湾への留学を決める。決め手は環境面だ。

「野球のレベルも、選手たちの実力も高かったんです。そして専用グラウンドもあって、設備、環境もとても良いので、行きたいなと思いました」

 名古屋産業大での在籍は短期間だったが、「今でも関係を取り合うほど仲が良いです」と振り返る。