まさに原石 静岡の逸材・勝又琉偉を変えた1年生秋からの主将就任劇【後編】
近年のドラフト戦線で注目が集まるタイプの選手の1つが、大型内野手ではないだろうか。若手選手を見渡すと、オリックス・紅林 弘太郎内野手(駿河総合出身)が大型内野手を代表する選手の1人として挙げられるが、その紅林と同じ静岡から再び大型内野手が現れた。
静岡の公立校・富士宮東で主将を任された勝又 琉偉内野手(3年)だ。188センチ、78キロとグラウンドに立てば言葉通り頭1つ抜けた大型選手で、存在感がある高校生だ。
サプライズ抜擢の背景
勝又 琉偉内野手(富士宮東)
努力家の勝又は軟式出身だった。入学当初、硬式球に変わったことでのバウンドの跳ね方に最初は戸惑いがあったが、「とにかく練習しました」とひたすら練習を重ねて、1年生の夏にいきなり4番・遊撃手で公式戦デビューを飾った。
サプライズは続く。初めての夏が終わって世代交代になった時に、まだ1年生の勝又に大勝監督は、主将を任せた。3人いた先輩たちではなく、1年生の勝又を指名する異例の出来事。その時のことは勝又も「びっくりして『本当にできるのかな』と思いました」と鮮明に覚えている様子だった。
大勝監督にはどんな狙いがあったのか。
「地位が人を作る、という言葉があると思いますが、勝又には主将という立場を通じて責任感というのを自覚させたかったんです。それまでは自分のペースで、誰かに言われずともコツコツ努力できる選手でした。もちろん素晴らしいことですが、それだけの選手で高卒プロという目標を立てているからこそ、先頭に立って模範となる行動をする。チームに影響を与えるリーダーとしての資質や、周りから見られているプレッシャー、そして自分の行動に責任を持たせることを、『早い段階から経験していいのでは?』と思って決断しました」
もちろん公式戦では先輩が主将として登録されるが、ゲームキャプテンは勝又。「当時は先輩の意見を聞きながら、同級生たちのことも考えるので大変でした」と苦笑いを浮かべるものの、大きなプラスに還元されていた。
「最初は陰からチームや人を支える。目立たないような選手でしたが、主将として周りとコミュニケーションを取り続けることで、自分から雰囲気を作れるようになったことは、大きく変わったことだと思います」
大勝監督も勝又の心の成長を実感した。「スカウトの方がお見えになっても変に意識しすぎることなく普段通りできるので、周りから見られることには慣れたんだと思います」と早くから主将抜擢した成果が出ていることに安堵している様子だった。
[page_break:フィジカル強化で磨かれた打撃]フィジカル強化で磨かれた打撃
勝又 琉偉内野手(富士宮東)
持って生まれた努力家としての一面や、1年生秋から主将を任されたことで培ったリーダーとしての資質。大観衆のなかで1年間戦うプロ野球の世界で戦うためのメンタリティーを備えてきた。
あとはプレーだ。188センチの長身でも50メートルを5.9秒で走れる脚力や、豪快なスイングから快音を響かせるバッティングがある。高校通算9本塁打と物足りなさはあるが、実際にスイングを見れば、ダイナミックかつ鋭いスイングには期待感を持たせてくれる。まだまだ伸びしろを感じさせてくれるが、中学までは、「アベレージヒッターでした」と単打で野手の間を抜くことが得意だった。
富士宮東進学後も、当初は磨かれたミート力を生かしてヒットを量産。高校野球の壁をすんなり乗り越えたが、ホームランを量産できるようになったのは2年生の冬からだった。それまでは2本しか出ていなかったが、「トレーニングで10キロ近く体重が増えたことで、パワーがついてきた」と、3年生の春だけで4本塁打を積み重ねた。
筋力増加が大きく影響したが、打撃技術の向上もホームランの増加に関係している。
元々、「プルヒッターでひっかけることが多かった」と大勝監督は勝又の打撃を分析するが、最後の夏に向けて「インサイドアウトで内側を捉えられるようになった」ことで、右手の押し込みが使えるようになり、飛距離アップにつながった。
また、「朝練でフロントティーや置きティーでミートポイントやタイミングを意識しながら、投手によって対応できるように引き出しを増やしてきた」とあらゆる投手から打てるようにするための方法を考えてきたことも、結果に結びついていた。
最後の夏は3回戦で敗れ、3年間で甲子園に手は届かなかった。調査書は6球団から届いたが、あくまで「支配下を考えています」と本指名でのプロ入りという意志は固い。東海地区で同じ遊撃手で注目されるイヒネ イツア内野手(誉)をはじめ、今年は多くの実力あるショートが提出している。
そんな彼らをしりぞけて、勝又琉偉の名前が呼ばれることを心から願っている。
(取材=田中 裕毅)