2021年、夏の甲子園に初めて出場した阿南光(徳島)で当時2年生エースだった森山 暁生投手が徳島大会を1人で投げ抜き、チームを甲子園に導いた。甲子園の初戦・沖縄尚学戦(沖縄)でも完投したものの、試合は0対8で敗れた。

 球数制限によって、継投策が常套手段となりつつあった流行に逆行するようにマウンドに立ち続けた剛腕は、1年かけて12球団から調査書が届く逸材まで進化を遂げた。

12球団からの調査書が届く逸材はサッカー少年だった


 最速146キロを計測する森山は、集大成の夏は初戦の2回戦・鳴門渦潮の前に0対1で敗れ、2年連続で夏の甲子園に出場することは叶わなかった。しかし、183センチ、83キロの恵まれた体格から、伸びあがるような直球で相手打者をねじ伏せてきた。

 爽快感すらあるピッチングにスカウトの目が留まり、12球団すべてから調査書が届いた。3年間指導してきた高橋監督も「光栄なことですし、今まで例に見ないことだと思っています」と教え子の注目ぶりに目を細めていた。

 始まりは小学3年生だ。それまではサッカーをやっていた。しかし、少年野球の監督に声をかけられたのをきっかけに「親に黙って練習参加しました」と野球の道へ歩みを変えた。左利きということもあり、早くから投手に取り組み、メインポジションとして中学時代まで過ごしてきた。

 野球をやる以前から優れていたという肩甲骨の柔軟性からくる可動域の広さを生かして、目いっぱい大きく腕を振る。中継ぎ登板が多かったが、「ストレート押しにスライダーを交ぜるピッチングスタイルでした」と力押しの投球は、高橋監督の目にも留まった。

「本格派の大型左腕で、肩回りの柔軟性も優れていましたので、『こちらの指導(のやり方1つに)にかかっているな』と思ったのは覚えています」

 指導者の熱意はもちろん、「一番自分を必要としてくれた」という思いに惹かれて、阿南光を選び、甲子園を目指すことを決めた。

 150キロを出すことを目標に立てて阿南光の門をたたいたが、最初からうまくいくわけではなかった。目いっぱい腕を振って相手打者を抑えようとしたが、直球と変化球を投げる時に、フォームに若干の違いがあった。試合ごとに調子の波もあり、打ち込まれる試合と、抑える試合の差が激しかった。まだまだ不安定な要素を多く抱えていた。

 しかし冬場のトレーニングで走り込みはもちろん、「多いときは1回で一気に200球だったり、連投しながら1週間で400~500球投げました」という投げ込みで、スタミナ強化とフォームの再現性の向上、そしてピッチングの引き出しを増やした。

 そして2度目の夏、「どの球種でも腕の振りを統一できましたし、ペース配分ができるようになった」とオフシーズンに取り組んできた成果をいかんなく発揮し、自身にとっても初の甲子園に届いた。