中学時代は4、5番手の無名。浦和麗明・吉川悠斗は、なぜ12球団がマークする大型左腕へ成長できたのか?
今年のドラフト候補の高校生左腕で急速に評価を上げているのが、浦和麗明(埼玉)の吉川悠斗投手(3年)だ。185センチの長身から最速は142キロ。腕の長さを生かしたフォームで打ちにくく、チェンジアップ、スライダー、カーブ、フォーク、カットと各種変化球の精度も高い。
吉川がなぜこれほど注目を浴びるほどになったのか。この夏の埼玉大会・秩父農工科学戦で20奪三振を達成したことがきっかけだった。
昨秋の段階から埼玉県では屈指の左腕として注目されていたが、多くのスカウトが詰めかけた試合で抜群のアピールをしたことで、今年の高校生左腕ではトップレベルの評価を受けるまでになった。すでに12球団のスカウトが視察済みという。
高校入学前までは全くの無名だった。いかにして、レベルアップを遂げたのか。
体作りを行う中で、2年秋からプチブレーク
浦和麗明・吉川悠斗
吉川は、小学校6年生から投手を始めた。吉川美南ボーイズ時代は目立った活躍はなく、4、5番手だった。なぜ浦和麗明へ進もうと考えたのか?
「元々野球がそんなに上手くなかったですし、浦和麗明は人工芝のグラウンドなど設備的にもいいですし、偏差値も近いのでここに決めました」
もちろんこの時、プロについては全く頭になかった。
「プロは全然頭にありませんでした。とりあえず野球を3年間できればいいと思っていたので、特に目標はなかったです」
それでも吉川は入学当時から身長180センチもあり、手足も長く、投手として高い素質を秘めていた。投球面では思考を巡らせながら、取り組める一面もあった。体作りを行う中で、みるみると素質を伸ばし、1年秋からベンチ入り。そして2年春の地区予選の浦和学院戦で敗れはしたものの、4失点完投と、好投を見せたところから注目を浴びるようになった。吉川自身、やれると実感した試合であった。
「やはり強いとわかっていたので、極端に言えば負けてもしょうがないと思い投げていたので、力を抜いて投げられたのが良かったのかなと思います」
2年秋はエースとして活躍し、県大会ベスト8入りを果たす。ここからプロを意識し始める。
「ネットなどで自分の名前が出だしていたので、秋はベスト8まで行けて、大学や球団の方が来るようになって、それくらいから意識し始めました」
この時から自身の直球が速くなっただけではなく、スライダーにも手応えを感じ始める。
「3年間を振り返ると、スライダーが一番良かったのは秋の大会の時で、チームで一番、三振も取れていました」
さらに打たれない投手になるために取り組んだのがチェンジアップの習得だった。
[page_break:20奪三振をもたらしたチェンジアップの存在]20奪三振をもたらしたチェンジアップの存在
浦和麗明・吉川悠斗
「練習で使ってみたら、チェンジアップは使えそうだなと思い、磨いていきました。右打者の外に逃げるような球なので、スライダー、カット以外で、チェンジアップで緩急もつけられるようになったので、タイミングを外すのに重宝していました」
これまで磨いてきたチェンジアップが最大限に生きたのが、20奪三振を記録した秩父農工科学戦だ。
「調子はよかったです。自分が投げる最初の試合でしたので、最初から調子を上げていこうと思っていました。最初から打たれるとチームの雰囲気も下がると思うので、できるだけ抑えて(ベンチへ)帰れるように投げていました」
また、この試合はあえて三振を狙っていたという。
「打たせるんだったら多少真ん中に集めても良かったのですが、打たせて守備を動かしすぎると、バッティングにも影響するかもしれないですし、三振を狙っていました」
自分の考え通り、投球ができるほど野球は甘くない。ただ、この日に限っては直球、チェンジアップ、スライダーもすべて思い通りに投げることができ、驚異的な奪三振を取ることができた。吉川の初登板ということで、多数の球団スカウトが詰めかけていた。その試合で最高のパフォーマンスができたことも大きなアピールとなった。
夏は4回戦で川口市立に敗れた。吉川は「川口市立とは昨秋も対戦していて、去年と比べても川口市立は成長していてさすがだと感じました。ただ自分の投球はあんまり成長していなかったので、悔しいのもありますし、変化球が酷かったので、変化球含め色々な課題が見つかったなと思いました。負けはしましたが、失敗した経験も自分の成長のためには良かったなと思います」
夏の大会が終わってから体作りに励んできた。体重は5キロ増の80キロまでに到達した。取材日の投球練習でも、長い腕から繰り出される切れのある直球、スライダー、カットボール、フォーク、カーブ、チェンジアップの精度はいずれも高かった。「変化球のコントロールを意識してやっていました。腕の振りやバランスがまだバラバラだと思っているので、これから直していきたいです」と課題を口にした。
プロ志望届を提出し、多くの球団スカウトから注目を浴びているが、入学当時の自分を振り返ると想像できない。ただ、浦和麗明で歩みを見せる中で、吉川には少しずつ世界が変わってきた実感がある。
「元々目指してはいなくて、夢程度だったので、野球が上手くなれば体も変わってくるだろうし、体も変われば野球も上手くなると思い、体が細かったので、体作りだけを考えてやっていました。そして投球についても、監督、コーチから教えてもらいましたが、変化球は基本的に自分で握りを考えたり、思い付きで学んでいました。投球の際の左腕の出し方やピッチングフォームなど体の使い方はよく調べていました」
惰性で過ごすのではなく、上手くなるためにフィジカルもテクニカルも上達するために取り組んできた1日1日の積み重ねが今の吉川を生んだのである。
最後に意気込みを語ってもらった。
「指名をされれば一番です。ただ、指名されて終わりではなく、プロはいろんな凄い方がいる中で、自主トレから良いスタートが切れるように準備していきたいです。もしプロが叶わなくても別の進路でも良いスタートを切れるように、準備し続けることをやっていきたいと思います」
淡々とやるべきことを語った吉川。高校卒業後、大きな活躍を成し遂げるかもしれない。そう思わせるだけの素質、思考力の高さがあった。
(取材=河嶋 宗一)