Interview

高校時代は「練習する機会さえ与えられなかった」 脱サラした元球児が鹿児島「初」の野球教室を営む

2022.06.14

 清水剛さんが「子ども向け野球教室★ビスタベースボールクラブ」を鹿児島で立ち上げたのは2011年5月のこと。子どもを対象にした体操や陸上、サッカーやバスケットボールなどの「教室」は一般的になりつつあるが、野球教室は「鹿児島で初めて」(清水さん)だった。

 野球の実績はほぼない元高校球児の清水さんだが「明るく、楽しい野球を伝えたい」と妻・亜由美さんと二人三脚で、草の根の野球普及活動に取り組んでいる。

投げる、捕る、打つ、走る

高校時代は「練習する機会さえ与えられなかった」 脱サラした元球児が鹿児島「初」の野球教室を営む | 高校野球ドットコム
清水剛さん

 月曜日は玉里団地の中央公園が練習会場。取材に訪れた6月6日の参加者は小学3年生が3人、1年生が1人の4人。最初のメニューはバッティング練習。清水さんが下手で球を打ちやすいように投げて、子供たちが自由に打つ。

 野球の練習はキャッチボールが基本と考えていたが、「キャッチボールって意外に難しいんですよ」と清水さん。空中にあるボールを怖がらずに捕れるようになるには、ある程度慣れがいる。やはり子供たちが一番好きなのはバッティングだ。思い思いに打ち、残りの子供たちは守備につく。

「投げる、捕る、打つ、走る…。野球の動作をたくさんやるようにしています」

 バッティングの後は内野ノック。1カ所で受けて一塁に投げたり、三塁から走り始めて三遊間のゴロ、二塁から二遊間のゴロ、一塁から二遊間、二塁から三遊間と往復する。外野の「アメリカンノック」の内野版といったところか。「レーザービーム」は軽くフライを上げ、捕ったら走りながら思い切りネットに向かって投げる。

 練習の締めくくりはミニゲーム。2対2でチームを組み、攻守に分かれる。バッティング練習と同じように清水さんが下手で投げ、攻撃側はそれを打つ。インフィールドに転がったら走る。一塁ベースまでたどり着いたら1点、二塁なら2点、三塁なら3点、ホームまで生還したら4点となっており、3アウトチェンジで9回までゲームして合計得点を競う。

 最後のゲームは、まさしく団塊ジュニア世代の清水さんや私たちが子どもだった頃、学校や公園でやっていた「草野球」「野球ごっこ」だ。会場の玉里中央公園はかつて私が小学生だった頃、「4年4組対5組」で試合をした「球場」だった。

 9人そろうことは滅多になく、監督も、審判もいない。6人対7人の試合でも、ルールを自分たちで決めて、遊ぶことに夢中になっていた。漫画「ドラえもん」でよく描かれる「土管のある空き地」での「野球ごっこ」が、この世代の野球に対する「原体験」にあることを期せずして思い出させてくれた場面だった。

 私も子どもたちと一緒になってノックを受け、守備についた。軽くフライを捕球し、それっぽくゴロをさばくいただけでも、尊敬の眼差しで見てくれる。

「ガイヤさん、じょうずですね!」

 小学3年生のセイくんが声を掛けてくれた。野球が本当に好きらしく、私が清水さんと高校の同級生で同じ野球部だったという話をすると、ポジションがどこだったとか、背番号は何番だったかなど、根掘り葉掘り聞いてくれた。外野手だったと答えたので、呼び名が「ガイヤさん」になった。

 一通り練習が終わると、最後は参加カードにスタンプを押し、お互いと保護者にお礼のあいさつをして教室を締めくくった。

[page_break:スポーツ、野球に関わりたくて転職]

スポーツ、野球に関わりたくて転職

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清水剛さん

 大学を卒業した後、大手住宅メーカーに勤務していた清水さんだったが、丸10年を迎えた07年に退職。それなりに安定した仕事だったが「この仕事を続けて、この会社で出世していく人生が何となく自分には合っていないような気がした」という。

 明確なやりたいことが他にあったわけではないが、何かスポーツに関わることをしてみたいと考えた。教員になって野球の指導をするという道も考えたが、30歳を過ぎて教員の資格を取ることにはためらいがあった。大阪の営業所にいた頃、そんな悩みを友人に相談すると、スポーツに関する資格を取れる専門学校があることを紹介してくれた。

 関西メディカルスポーツ学院という主にスポーツトレーナーを養成している学校だった。退職した年の5月に、学校事務員をしていた亜由美さんと故郷・鹿児島で結婚した。「2人とも無職の状態で結婚しました」と苦笑する。

 専門学校に通っている頃、幼稚園に出向いて体操やサッカーを教えるアルバイトをする機会があった。教えたことがちょっとずつできるようになっていく姿を見ることにやりがいを感じ、「子どもたちを対象にしたスポーツの教室」を生業にできないかと思った。色々調べると名古屋に、野球教室を運営している会社があることを知った。

 08年に就職。名古屋のNPO法人ビスタベースボールクラブで、野球教室の指導法、運営のノウハウなどを学んで経験したのち、11年5月に故郷・鹿児島で「子ども向け野球教室★ビスタベースボールクラブ」を立ち上げた。

 4月に帰郷し、1カ月間はポスティングやスポーツ店でチラシを配るなどの「営業活動」。最初の教室は桜丘中央公園で5、6人が参加しての練習だったと記憶している。甲子園出場経験などのめぼしい実績は皆無、鹿児島では初めてとなる試みが受け入れられるのか、試行錯誤の日々が続いた。2年目からは大会に出場することを目的とした育成チームを立ち上げた。

 当初は名古屋の「親会社」からの支援を受けていたが「ようやく安定してきたのはここ5、6年でしょうか」(清水さん)。育成チームが大会に出て優勝したり、全国大会出場を果たすなど「実績」を残したことで認知度も少しずつ浸透してきた。現在では月曜日・玉里、火曜日・皇徳寺、水曜日・吉野、木曜日・姶良、金曜日・桜丘でそれぞれ放課後の午後4時半から約1時間の教室があり、土日の午前中は無料体験も兼ねた幼児、小学生の教室、午後は育成チームの練習と鹿児島市内を拠点に様々な活動を繰り広げている。現在の会員は75人。育成チームの卒団生は10期生を数えるクラブとなった。

 まだまだ指導者として学ぶことも多い中で「この活動を継続して、明るく楽しく野球をする子どもを増やしたい」と清水さん。亜由美さんは「卒団生でプロ野球選手になるようなOBがでてきてくれたら(笑)」と期待している。

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高校時代の思い出

高校時代は「練習する機会さえ与えられなかった」 脱サラした元球児が鹿児島「初」の野球教室を営む | 高校野球ドットコム
清水剛さん

 前述したように私と清水さんは高校時代、野球部で同期だった。2人に共通するのは、高校時代の試合経験がほぼ皆無ということ。当時の私たちは練習試合に出かけて2試合組んでいても、実力のない選手は試合で全く使ってもらえなかった。

 進学校で練習時間が短い分、下手な選手は練習する機会さえ与えられなかった。例えば平日の打撃練習の本数はレギュラーメンバーが5本×4セットと決まっている。5本×3セットが準レギュラーで試合に出る可能性のあるメンバー、私や清水さんは最上級生になって5本×2セット打てるが、遠慮して打たないことも多かった。ノックでミスが続けば「どけ!」と外される。言いたいことはいろいろあったが、自分がうまくならない限り発言権はないものと思い込んでいた。試合に出続けているメンバーとの「格差」は開く一方であることへのストレスやジレンマをどこかに抱えていたような気がする。

 3年生になって、新1年生に力のある有望な選手が多数入ってきた。3年生が不甲斐なく、秋ベスト8でシードだったにもかかわらず春の大会初戦コールド負けだったので、当時18人だった夏のベンチ入りメンバーには何人か1年生が入ってくると言われていた。試合経験や練習はできていなくても、2年生の秋からベンチには入れて背番号11をもらえていた私だったが、間違いなく外される候補の1人と思い込み、初めて焦りを覚えた。

 どんなことがあっても背番号だけは死守したかったから、ノックでミスして「どけ!」と言われてもどかずに練習を受け続けた。清水さんはそもそもベンチに入ったこともなかったと記憶している。実際、数人の3年生がベンチから外れることになった。私は11番を辛うじて死守したが、当然のごとく公式戦の出場機会は最後までなかった。

 そんな状況を「当時は相当不満に思っていましたよ」と清水さん。「でもやっぱり自分の努力が足りなかったと思います」と懐かし気に振り返った。高校の頃「明るく、楽しく」野球をやるという発想が皆無だったからこそ、今の子供たちに明るく、楽しい野球を伝えたい思いは人一倍強い。

 高校時代、一度も試合に出られなかった選手が大人になって子どもたちの野球指導を生業としている。「高校時代のことがあったから今こうして野球に関わる仕事ができている」というのは清水さんと私に通じる思いだ。

【メモ】清水剛(しみず・つよし)。1974年11月14日生まれ。鹿児島市出身。伊敷中、鶴丸を経て九州大卒。11年5月から「子ども向け野球教室★ビスタベースボールクラブ」を立ち上げる。

※ビスタベースボールクラブの詳細はこちら

(取材:政 純一郎

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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