目次

[1]体の線が細すぎては速いボールは投げられなかった
[2]合理的なメニューの改善により、球速が大幅アップ


 現在のNPBにおいて、球界屈指の投手として注目されるオリックス・山本 由伸投手(都城高出身)。昨年は26試合で、18勝5敗、防御率1.39、206奪三振と投手タイトルを総ナメ。沢村賞、パ・リーグMVPを受賞し、今や多くの投手が憧れる存在となっている。今回はそんな山本のフォーム作りにおいて考えていることや、フォーム作りで悩んでいるアマチュア投手たちへ有益なアドバイスを語ってもらった。今回は本人が語る都城高時代について紹介したい。

体の線が細すぎては速いボールは投げられなかった


 岡山県の東岡山ボーイズでは二塁手をメインとしながら、投手もこなしていた。「2試合目で投げる感じの位置づけでした」と振り返るが、それでも都城高では1年夏から登板できたほどの投手なので、非凡な能力があったのだろう。野手からのスタートだったのは、本人の希望もあった。

「高校に入る時に、投手、野手、どっちが好きなの?と聞かれて、どっちも好きなので、どっちもやりたいですということで、まずは両方やることになりました。高校に入ってからサードで出させてもらいながら、練習試合で登板をさせてもらうこともありました」

 どちらの役割でも試合に出場していたのが、投手メインで試合出場するようになったのは、当時のチーム事情で山本が投手に専念することになったからだ。

 与えられた試合で着実に結果を残した山本は、秋には主戦として任されるようになる。秋では県ベスト4、1年生大会でも準優勝。打たれた悔しさもあったが、「大会前、初めてエース番号を渡されたときは嬉しかったです」と当時を振り返る。

 このときは最速140キロほどで常時135キロ前後。高校1年生投手としては非凡な物を持っているが、そこから高校2年で151キロと、一気に高校球界トップクラスの球速を誇り、濱地 真澄投手(福岡大大濠ー阪神)、梅野 雄吾投手(九産大九産ーヤクルト)、太田 龍投手(れいめいーJR東日本ー巨人)とともに、九州四天王と呼ばれるまでになった進化の秘密はオフのトレーニングにあった。

 まず体重を増やした。入学当初、63キロだったがハードな練習の影響で、夏は58キロまで落ちていた。これでは当然パワーが出るはずもない。それでも素質の高さで140キロ前後の速球を投げていた。NPBのスカウトは目をつけていた。

「ある試合の前の試合で投げていたのが、当時、宮崎県で好投手として注目されていた横山 楓さん(宮崎学園ー國學院大ーセガサミーーオリックス)です。スカウトの方は横山さんが投げた試合のあとにも残っていて、僕のことも見てもらったようで、監督から『細すぎるって言ってたぞ』と言われて、そこから頑張ってたくさん食べて、増量して球が速くなりました」

 食トレとして、1日4食とっていたというが、その1食にどんぶり3杯食べていたという。当時の監督が厳しかったため、山本は精いっぱい、口に運んだ。

 またトレーニング内容の変化もあった。それはランメニューの変化だった。

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