敦賀気比の二刀流・上加世田頼希の中学時代 硬式に進まず軟式U-15代表に【前編】
北信越大会を制した敦賀気比においてエースで4番、さらに主将を務めている上加世田 頼希投手(2年)。7年ぶりの優勝を目指すセンバツでは大車輪の活躍が期待されている。小学生時代から全国区の活躍を続けてきた上加世田のこれまでの歩みと2022年の抱負を聞いた。
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あえて軟式チームに入部
上加世田頼希
大阪府大東市出身の上加世田は父の影響で3歳頃から野球と触れ合うようになり、「時間があれば、近くの公園でキャッチボールをしたり、ノックを打ってもらったりしていました」と幼少期を振り返る。小学1年生でジュニアライガースに入団し、3年生から投手を始めた。
6年生の時にはオリックス・バファローズジュニアに選出される。チームメイトには京都国際の主力選手として活躍している平野 順大内野手(2年)もいた。優れた選手が揃う中で上加世田は4番投手として活躍。早くから能力の高さを見せつけていた。
「(オリックスジュニアは)凄い選手ばかりたくさんいて、その中でできるという喜びと、試合に出られるのかという不安もありましたけど、本大会として4番ピッチャーとして試合に出られたことは今でもいい思い出です」
中学では軟式のクラブチームである門真ビックドリームスに入団。「投手で行くなら中学校は軟式に行った方がいい」という当時オリックスジュニア監督だった大久保勝信氏からのアドバイスもチーム選びの参考にもなったという。門真ビックドリームスでは全日本少年春季軟式野球大会で4強入りするなど、全国上位クラスの成績を残したが、野球以上に人間として学ぶことが多かった3年間だと振り返る。
「周りに対する気配りなど、全て一から教えて下さりました。技術もそうですけど、野球以外のところが一番成長できたかなと思います」
[page_break:国際大会優勝で大きな自信]国際大会優勝で大きな自信
敦賀気比 上加世田
さらに中学時代には、チームでバッテリーを組んでいた同級生の渡辺 優斗捕手とともに侍ジャパンU-15代表に選出された。
彼らが出場したのは中国で行われた「第10回BFA U15アジア選手権」。この大会はKボールで開催されたため、軟式のチームでプレーする選手から精鋭が集められた。この大会で上加世田はライバルの韓国戦や台湾戦で先発を任されるなど、エース格として活躍。優勝に大きく貢献し、初めての国際大会は実りの多いものとなった。
「海外の選手たちと試合したことによって、日本以外の野球スタイルというのが分かったので、そういうことが1度でも感じられたのが良かったかなと思います。アジアで1位になれた瞬間は野球をやってきた中で一番嬉しかったです」
門真ビックドリームスからは上加世田、渡辺、岡村 颯樹内野手の3人が敦賀気比に進んだ。特に一緒に行こうと話し合ったわけではなく、それぞれが行きたいところを選んだ結果、たまたま3人の進学先が同じだったという。上加世田にとって敦賀気比を選んだ最大の決め手は東哲平監督の存在だった。
「投手を育てるという面での素晴らしさもありますし、日本代表のコーチにも1度選ばれたことがあって、自分が中3の頃に甲子園でベスト16と凄く良い結果を残されていたので、レベルの高いところで野球をしたいというのがありました」
上加世田は敦賀気比でさらに自分を高めていく。詳細は後編で紹介する。
(取材:馬場 遼)