ドミニカ人留学生ワーネル、異国の地で110キロ台から145キロ右腕へ成長
ワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ(大阪偕星学園)
ダビッド・バゥティスタ・モレノとともにドミニカ共和国から留学生として大阪偕星学園にやってきたワーネル マニュエル リンコン デ ラ クルーズ。最速145キロの右投手で、11日のドラフト指名を狙っている。
ワーネルが野球を始めたのは9歳の時。テレビでメジャーリーグ中継を見て、自分もやりたいと思うようになった。
憧れていた選手はメジャー通算219勝のペドロ・マルティネス。「身長は小さいけど、心がデカいですね。我慢強いピッチャーです」とワーネルは彼の魅力について語ってくれた。
縁あってダビッドと一緒に日本に来た。来日前の印象を「全くわからないです」と話すほど、ワーネルにとって日本は未知の国。イチローが生まれた国とかろうじて認識している程度だった。
「先生や野球部の言ってることが何も分からなかったです」と来日当初は言葉の壁にぶつかった。「練習終わってから、夜に寮に帰って、友達がダビッドしかいないから、とにかく帰りたい、親に会いたいと思っていました」と異国での生活を心細く感じる日々。「ダビッドと『最後まで頑張らなアカン』と言っていました」と盟友と励まし合いながら、寂しさを乗り越えてきた。
最初は、なかなか理解できなかった日本語も自分で調べたり、友人に聞くなどして、徐々に覚えていった。今はダビッドと同様に通訳や翻訳アプリなしでも普通に会話することができる。
好きな日本食は寿司とラーメンで、お気に入りの寿司ネタは海老だという。日本に来た当初は「ガリガリだった」と振り返るが、日本食に慣れたことで、3年間で体重は8㎏増えて、73㎏になった。それに従って球速も伸び、入学時は110キロ台だった球速は145キロまでになった。
ワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ(大阪偕星学園)
野球の面で日本に来て感じた違いは全体練習の多さだ。ドミニカ共和国では個人練習が多いが、「みんなで一生懸命練習やっていました」と全員で同じ練習をやることに驚きを感じていたそうだ。
元々は遊撃手で投手としてのキャリアは浅かったが、チームメイトや他校の選手に刺激を受けながら、懸命に努力を続けてきた。その甲斐もあり、今夏の大阪大会では背番号1を勝ち取った。
エースナンバーを背負って最後の大会に挑んだが、ベンチスタートとなった初戦の三国丘戦では序盤から劣勢を強いられる。流れを変えるためにワーネルは3回途中から2番手で登板するも、「ちょっと力入って、コントロールが良くなかったです」と本来の投球ができず、アウトを1つしか取れずに3失点で降板。その後も相手のペースで試合が進み、4対14の6回コールドで敗れてしまった。
「寂しいですね。甲子園まで行きたかったです」と不完全燃焼で高校野球を終えたワーネル。だが、プロ野球選手になるという夢を叶えるため、「毎日、自分の部屋でトレーニングやっています」と高校野球を引退してからも努力を続けている。
ダビッドとともにプロ志望届を提出し、運命の日を待っている。まだ実績としては乏しいが、手足の長さを活かしたストレートには豊かな将来性を感じさせる。長い目で見れば、面白い素材であることに間違いはない。
「ドラフトは呼ばれてほしいですね。呼ばれなかったら、もっと頑張らなイカンですね。大学で4年間頑張ってやります」と目前に迫ったドラフト会議についての思いを語ってくれたワーネル。将来が楽しみな彼の運命はどうなるだろうか。
(記事:馬場 遼)