目次

[1]ケガを機にコンバートした遊撃手で才能が開花
[2]甲子園出場の鍵は地道な練習の積み重ね


 初出場となった今春の甲子園で1勝を挙げた京都国際。1番遊撃手として攻守に活躍を見せたのが武田 侑大(2年)だ。

 中学時代は捕手で、昨年は外野手としてプレー。昨秋の公式戦は右すねを痛めた影響で、ベンチからも外れている。それでもセンバツでは今年1月から遊撃手にコンバートされたばかりとは思えない守備を見せつけた。将来有望な武田の遊撃手としての可能性に迫る。

ケガを機にコンバートした遊撃手で才能が開花


 出身は和歌山県橋本市。父の利幸さんが少年野球の監督をしている影響で、小学1年生から野球を始め、ずっと捕手をメインにプレーして来た。

 中学では和歌山北ボーイズに所属。和歌山県選抜に選出され、関西ブロック支部対抗オールスター大会で満塁本塁打を放つなど、地元では評判の選手だった。

 強豪校からの誘いもあったが、「野球にしっかり打ち込める環境で、目標であるプロ野球選手になるのに一番近い高校だと思いました」と京都国際に進学。将来の中軸打者として、活躍が期待されていた。

 しかし、秋の大会を控えた8月半ばに右足のシンスプリントで戦線離脱。「チームが勝ち進めば、自分にいつかチャンスが巡ってくると思っていたので、しっかりサポートや声出しをして、チームの為になることを心がけてやっていました」と秋は裏方に徹して、スタンドから試合を見届けた。

 秋は同級生の森下 瑠大平野 順大らの活躍で近畿大会4強入り。翌春の甲子園出場をほぼ確実にした。その時、武田は「森下や平野が活躍していたので、悔しいなと思っていたんですけど、自分がいつか試合に出られたらもっと活躍してやろうと思っていました」と静かに闘志を燃やしていた。

 近畿大会を終えた直後に復帰し、11月の練習試合でも好結果を残した。「秋は自分が出られなくてチームに迷惑をかけました。センバツでは自分が打って守ってチームに貢献したいと思っていたので、それまでに練習はしっかり取り組めたと思います」と復帰後は順調な歩みを見せていた。

 当初は外野手としてセンバツに出場する予定だったが、1月後半に小牧憲継監督は武田に遊撃手へのコンバートを命じる。遊撃手のレギュラーが固定できておらず、本職の選手たちに刺激を与えるための策だった。

 この抜擢には武田自身も驚いたが、「カンフル剤」のつもりで抜擢した指揮官の予想を上回る上達ぶりを見せる。

 「数を重ねていくうちにどんどん慣れていきました。苦手意識はなかったので、そこまでは苦じゃなかったです。動きはわかっていない部分もあるんですけど、大まかな流れはだいたいできるようになりました」

 練習試合でも好結果を残し、実力で1番遊撃手の定位置を奪い取った武田。公式戦デビューはセンバツ初戦の柴田戦となったが、流石に緊張はあったようだ。

 「シートノックの前まではかなり緊張していました。シートノックが終わってからはだいぶ雰囲気になれて落ち着いた感じでできたんですけど、やっぱり序盤は自分たちのプレーができないところがありました。そういう面でまだ気持ちがしっかり落ち着いていてなかったのかなと思います」

 それでも試合が進むにつれて落ち着きを取り戻すと、2点を追う7回表に一死満塁から走者一掃となる逆転の3点適時三塁打を放つ。守備でも1点リードで迎えた10回裏の二死二、三塁の場面では三遊間への難しいゴロを軽やかに捌いて、京都国際に甲子園初勝利をもたらした。

 「大舞台になれば強い子なので、技術よりもメンタリティに期待して甲子園では使ったんですけど、試合では予想以上にアウトを取ってくれたと思います」と小牧監督の起用に応えてみせた。甲子園で鮮烈デビューを果たし、評価を急上昇させた武田。初めての甲子園で得た収穫と課題について、次のように語ってくれた。

 「守備は普通にできるようになってきたので、後はバッティングと走塁が自分の中では課題だと思っています。甲子園でもっと凄い選手は柵越えや長打を簡単に打つので、そこを目標にこれからもやっていきたいと思います。大阪桐蔭智辯学園の各選手は体の大きさから全然違うと思ったので、そこには少しずつ近づいていけるようにやっていきたいです」