広島の江田島出身のダンテが大阪桐蔭行きを決めた5打数5安打【前編】
大学野球の最高峰・東都一。この1年で大ブレイクの兆しを果たしたスラッガー・山本ダンテ武蔵(4年・大阪桐蔭出身)だ。
大阪桐蔭時代は17年センバツ、4番打者として優勝に貢献。夏も甲子園を経験した。國學院大に入学したダンテはこの春、大爆発。春季リーグ戦で打率.364 5本塁打 17打点の結果を残し、二冠王を獲得。大学選手権では、9日の富士大戦で、本塁打を放ち、ますます注目度が高まっている。そんなダンテの野球人生の歩みに迫る。
なぜダンテは大阪桐蔭に進むことができたのか?
大阪桐蔭時代の山本ダンテ武蔵
アメリカ人の父、日本人の母のもとで生まれたダンテは広島県の江田島出身。野球をやっていた兄の影響で、幼稚園から野球を始めた。中学まで江田島で過ごし、島内にある広島瀬戸内シニアでプレー。中学時代は強肩強打を武器にする捕手で、中学卒業後は広陵など地元の強豪に進みたいと考えていた。もちろん中学3年間の中で大阪桐蔭でプレーしたい思いはなかった。
というのは、ダンテの中学時代の活動範囲で県外でほとんどプレーすることはほとんどなく、広い大阪桐蔭のスカウト網でひっかかりにくい選手だ。そんなダンテが大阪桐蔭など県外の強豪校に進むきっかけとなったのは当時のシニア連盟の地区割の事情が関係していた。
というのも広島に所属するシニアチームは、当時、関西に所属していて、予選を行う場合は、大阪まで遠征をしていた。
「日本選手権の開会式が舞洲であったんです。大阪に開会式に行ったので、大阪の球場でやろうということで、豊中ローズ球場で試合だったですよね」
その試合には大阪桐蔭のほか、強豪校のスカウトが多く詰めかけており、5打数5安打の大活躍。さらに捕手として注目を浴びる結果となった。そこで大阪桐蔭含め強豪校から誘われるようになった。
「当時は何で(大阪桐蔭)と想いましたね。自分のことを見ていたんだなと思って。当初は中国地区の強豪校に進みたいと思っていたのですが、誘われた学校の中で最も強かった大阪桐蔭に進学することを決めました」
自信満々で大阪桐蔭へ入学したが、いきなり先輩たちのスピード、パワーに圧倒される。
「明らかに3年生と1年生の体格差が違って、入ったときは自信満々で1年生からレギュラーをとったるという想いできたのですが、なかなか上級生のレベルと比較したら、自分は大丈夫なのかなと思いましたね」
[page_break:優勝を実感できたのは学校に帰ってから]優勝を実感できたのは学校に帰ってから
大阪桐蔭時代の山本ダンテ武蔵
当時の外野手には青柳昂樹(元横浜DeNA)、藤井健平(NTT西日本)がおり、上級生との勝負に勝たないとベンチ入りは出来ないと悟った。まずそこでダンテが目指したには声で目立つことだった。
「最初は明るく元気よくやっていこうというスタイルで、声出し要因でも、打撃は目立つようにしていこうと思いました」
現在のダンテは打席から離れると仲間に対し声かけ、鼓舞する姿も見られる。こうした姿は高校時代からの積み重ねなのだろう。
高校2年夏まではベンチ外だったが、ようやく打撃力でアピールに成功し、2年秋から初のベンチ入りだけではなく、主軸打者として活躍。近畿大会ベスト4入りを果たし、センバツ出場を決める。
野球を始めた時から憧れにしていた甲子園。初戦の宇部鴻城戦では感情の昂りを抑えることができなかった。
「言葉に言い表せない高揚感がありました。自分が小さい時から夢見てきた場所なので、気持ちが舞い上がっていたと思います」
センバツ甲子園では4番ライトに座ったダンテは18打数6安打3打点の活躍で優勝に貢献した。決勝戦では秋に敗れた履正社と対戦したが、怯む気持ちはなかった。
「秋は負けていましたけれど、引いている気持ちはなかったです。大阪桐蔭はこれまで甲子園決勝で負けたことがないので、監督さんを信じていたので、不安はなかったですね」
センバツ優勝時の感想について次のように振り返る。
「優勝した直後は喜びはするんですけど、なかなか実感はなかったですね。大会が終わって、学校に帰ると、みんなから『すごかった』、家族に『おめでとう』といわれてだんだん優勝の時間が湧いてきた感じですね」
センバツが終わっても、夏は挑戦者の気持ちで練習に臨んできた。
「センバツの優勝を良い意味で忘れることができて、みんな意識高く、自分自身、良い練習
ができた実感があります」
そして夏も甲子園に出場したが、3回戦で仙台育英に敗れ、高校野球を終えた。改めて振り返ってダンテは「負けてしまったことは絶対に悔いになります。ああしていけばよかったと思うことは頭によぎります」。
高校野球を終えて、ダンテは関東の強豪大学でプレーしたい希望があり、それを西谷監督に伝えたところ、「國學院大さんから話がきているぞといわれまして。自分自身、来てほしいといわれたチームにいきたいと思っていたので、ぜひ國學院大でやりたいと思って、進学を決めました」。
さらなる高みを目指し、ダンテは東都一部・國學院大のプレーを決意する。
(記事=河嶋 宗一)