目次

[1]今も活きるU15での経験
[2]独特なフォームのポイントは重心移動


 練習、そして取材中も含めて印象に残っているのは、常に笑顔でいること。チームメイトと和やかな雰囲気で会話をしている姿からはとても想像しにくいが、マウンドに上がれば一変した投球を見せる。

 インステップによる独特なフォームで他の投手以上に角度がついたボールは、最速143キロを計測。変化球もスプリットをはじめ多彩なボールを持っており、3月19日からの選抜では活躍が期待されている。そのサウスポーが、東海大菅生エース・本田 峻也だ。

今も活きるU15での経験


 小学3年生から野球道を歩み始めた本田は、左利きと言うこともあり、最初からピッチャーとしてプレーすることとなる。「菊池 雄星さん(花巻東出身)をイメージしていましたが、とにかくどんどん三振を取りに行くような投手でした」と当時を懐かしそうに振り返る。

 その時から、「無意識だと思いますが、周りからはインステップになっていると言われていました」と現在のフォームの片鱗はあったと本田は語る。ただそれを矯正することはなく、中学では硬式の小松加賀シニアへの入団を選択した。

 親からは軟式を勧められていたが、「県外の高いレベルでやりたかったので、お願いをしました」と反対を押し切って入団するが、最初は苦労があったという。
 「最初は練習についていけませんでした。ボールの慣れはもちろん、筋力不足があったので、肩の怪我が1、2週間投げられない期間もありました」

 ただケガが癒えると、硬式球に慣れるため、さらには筋力もつけるために、とにかく投げ込みをした。「あとは指導されたことをとにかく取り入れて慣れるようにしていきました」と練習を積み重ね続けた。

 3年生の時にはジャイアンツカップに出場するなど、全国の舞台も経験すると、U-15日本代表に選出される。当時のメンバーには今回の選抜に出場する池田 陵真大阪桐蔭)や小畠 一心智辯学園)らがいた。現在の高校野球界のトップを走る選手たちとプレーできたことは今も大きな財産として残っている。

 「U-15に選ばれて世界大会の時は本当に緊張をしました。けど、その時の経験があるから、秋の都大会の決勝戦ではあまり緊張をすることなく、自分のピッチングに集中することが出来ました」

 当時のメンバーとは交流が続いているそうで、なかでも同室だった広島新庄秋山 恭平とは同じ左腕と言うところで刺激を与えあっている良きライバルとのこと。また「(畔柳)亨丞には球速で負けているので、負けられないです」と中京大中京・畔柳も意識する存在だと、少し笑みをこぼしながら語った。