名将も絶賛!プロ注目強肩捕手・高木翔斗(県立岐阜商)の捕手論【前編】
いよいよ3月19日に選抜が開幕する。東海地区で準優勝に輝いた県立岐阜商は市立和歌山との初戦を迎えるが、そこにいる大型捕手・高木 翔斗は世代屈指の選手だ。
打っては高校通算17本塁打、捕手としては遠投100メートル前後の強肩を活かした二塁送球1.85秒を記録する言葉通りの『打てる大型捕手』だ。プロも注目する高木はここまでどのような道のりを歩んできたのだろうか。
体の使い方を改善したくて岐阜フェニックスへ
小学1年生から伊吹クラブで野球を始めた高木。そのときから捕手一筋で活躍してきた。小学6年生の時には中日ドラゴンズジュニアにも選出されるなど、早くから才能を見せていた高木が中学から選んだのは、軟式のクラブチーム・岐阜フェニックスだった。
「最初はボーイズに行くことも考えていたのですが、高校のことも考えて岐阜フェニックスに行くことにしましたが、あとは体の使い方を改善したかったことも決め手です」
高木いわく、小学生の頃は体幹が弱く、細かな動きが苦手だったとのこと。身体の使い方、力の伝え方を克服するべく、ジムも経営している岐阜フェニックスに行って、改善しようと考えたのだ。
チームの練習はもちろんだが、週2日はジムに通い、マシンを使ったトレーニングはもちろん、トレーナーの指導による体幹トレーニングを中心に練習を重ねた。さらに、器具の中には初動負荷トレーニングができる機械を使って、可動域を広げながら筋力を付けてきた。
また「速筋を覚えさせたい」という狙いから縄跳びやジャンプ系のメニューで瞬発力を身につけることで、プレーにスピード感が出るようにしてきた。
そうすると、3年生の時に出場した全国中学生都道府県対抗野球大会で、成果を感じる瞬間がやってきた。
「予選の1回戦で宮城県選抜と対戦した時に、態勢を崩しながらホームランを打てたんです。前までなら軸足に重心を乗せたまま力任せに振っていたんですけど、その時は上手く反応して拾えた時は3年間の成長を感じましたね」
岐阜フェニックスでの成長はバッティングだけではない。捕手としても3年間の練習とトレーニングを経て飛躍を遂げていた。
「体の使い方が良くなったおかげで、フットワークがかなり良くなりました。そのおかげでタイムも大分縮まってきました」
高木の緻密な捕手論を紹介!
捕手として一皮むけてきた高木。しかしフットワークだけで、スローイング向上に至ったわけではない。上半身の使い方も大きく改善されたことが、送球の精度が高まった。
「イメージするのは菅野(智之)さんです。身体を捻った反動を利用して投げていますが、本当に体の使い方が上手いと思うんです。なので、参考にしています」
キャッチャーがピッチャーのフォームを参考にするのは珍しいことだが、ねじる分、しっかりと左腕で目標を定めることがポイントなのではないか。この疑問をぶつけると、「確かに大事です」という一言から、高木の理論が展開される。
「右腕に関しては、バスケットボールのシュートのイメージで、ある程度肘を前に出して投げたら、手首と入れ替えるように力まずに腕を振ってあげて、ボールを弾くようなイメージでリリースしています」
俗に言う「肘を前に出す」ということも、やりすぎてしまうと力が入らない。だからこそ、肘を前に出し切らずに、ある程度のところで手首を入れ替えるように腕を振る。その時の反動ではじき出すことが、高木のスローイングを支えていた。
ただ、右腕だけではなく、左腕の使い方も大事な役割を担っていった。
「捕球する際はなるべく近くで捕れるように意識していますが、そこからは体に勢いを作るために、少し前に出すようにリードさせるようにしています」
体の近くで捕球しながらも、投げる際は前に出すようにして勢いを作る。相反する腕の使い方だが、この繊細な使い方を覚えたことで、高木は岐阜フェニックスの3年間でスローイングを磨き上げた。
そして「鍛冶舎巧監督が県立岐阜商に就任されて決めました」ということで、高木は高校野球では県立岐阜商への進学を決めた。
今回はここまで。次回は県立岐阜商への進学後のエピソード、さらには打撃論にも迫っていきます。
後編はこちらから!
世代No.1候補キャッチャー・髙木翔斗が名将から薫陶を受けた打撃論【後編】
(記事=田中 裕毅)