最速152キロ。この数字だけでも惹かれるポテンシャルだが、加えてスプリットやツーシームなどの小さく動く変化球なども持ち合わせ、多くのメディアからは“世代No.1投手”の呼び声も高い市立和歌山・小園 健太。
近畿大会では3試合22回を投げて自責点はわずか1点。21個の奪三振をマークするなど、チームをベスト4に導くピッチングで評判通りのピッチングを見せつけた。2021年のトップを走る小園はいかにして現在の地位までたどり着いたのか。
中学時代は「力で押すタイプ」

小園 健太(市立和歌山)
小園の野球人生の始まりは小学校1年生から。大阪府の泉南地域に所在する貝塚第一中学校へ進学し、小園は川端 慎吾選手の父である川端 末吉氏が監督を務めるチームでも有名な貝塚ヤングに入団する。
3年生の夏には全国制覇を筆頭に多くの実績を残した当時の小園について、同じ貝塚第一中だった岡山学芸館の左のエース・西村 陸努は「身体能力が高かった」と絶賛。また、中学時代から小園を見ていた半田 真一監督も能力の高さを高く評価する。
「中学2年生くらいから投手として伸びてきたと思います。ただ腰の位置も高かったので身長はまだ伸びると感じていましたし、素直な投げ方をしていたので、身体が出来上がればと感じていました」
中学時代からバッテリーを受け続ける松川 虎生捕手は小園の成長についてこう語る。
「中学時代の小園は今と違って、変化量も少ないですし、球種も少ない。その代わりにストレートで押すタイプでした。それでも成長はしていて、球速はもちろんですが、回転数や伸びと言ったストレートの質が成長しました」
高い将来性、伸びのあるストレートで押すスタイルを武器にしていた小園は松川に誘われる形で市立和歌山の入学を決意。入学してから、140キロを超える直球を武器に1年春の県大会から登板し、早くから潜在能力の高さを見せつける。
決勝戦の智辯和歌山戦では2回無失点とライバル相手に堂々たるピッチングを見せた。
その後、順調にステップアップを踏んだ小園は、1年生の夏もベンチ入り。2番手として登板することが多く、特に3回戦・和歌山東戦では6回から登板。落合 秀市との投げ合いをするなど経験を積んだ中で、準々決勝・南部戦でも登板。しかし、この一戦で小園は打ち込まれる結果となり、試合も3対4で敗れることとなった。
ここが小園の大きなターニングポイントになった。