桐光学園入学後は挫折を痛感

桐光学園時代の中川颯
「変えたくなかったというか、プライドじゃないですけど、根っからのアンダースローと自負していたので、他のアンダースローの投手には負けたくない気持ちが強いですね」
そして卒業後は桐光学園進学を決断する。
「横浜泉シニアの先輩が桐光学園に進んでいて、桐光学園の良さを見聞きしていました。まず進学校で大学の進路も良い。自分自身、大学進学することは当時から考えていたので、そこは良いと思いました。
一番の理由は、自主性を特化した練習環境です。僕自身、練習は自らとことんしますが、強制的で、いわゆる縛られた練習が嫌いでしたので、そういうのがない桐光学園の環境は一番合っていたかなと思いました」
こうして桐光学園へ入学した中川だったが、入学する前年は松井 裕樹(東北楽天)がエースとして全国的な注目を浴びていた名門校。最初はレベルの高さに圧倒されたという。
「中学も5番を打っていましたけど、力量からといえば、他の選手のほうがすごくて、自分はそれほど実力がない選手でしたので、やはり桐光学園に進んだらどの選手もレベルが高くて圧倒されましたね。入学したときは全然通用しないで終わるじゃないかと思いました」
補欠のまま終わるかもしれない。
いわゆるスーパー中学生の立場ではなかった中川がいかにして1年夏のベンチ入りを勝ち取ったのか。
それはある練習試合の奇跡的な活躍だった。
vol.1はここまで。次回のvol.2は16日、最終回となるvol.3は17日掲載予定。vol.2では中川投手の高校時代の活躍を振り返っていきます。次回もお楽しみに!
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県内屈指のアンダースローのきっかけとなった帝京戦 中川颯(桐光学園ー立教大) vol.2
苦しみ抜いた中川颯(桐光学園ー立教大)が生み出したアンダースロー論 vol.3
(記事=河嶋 宗一)