福岡大大濠と言えば、オリックス・バファローズからドラフト1位指名を受けた山下 舜平大投手の注目度が非常に高いが、その山下投手にも引けを取らぬポテンシャルを持った逸材がいたのをご存じだろうか。

 投げては149キロ、打っても高校通算21本塁打。投打で福岡大大濠を牽引したのが、山城 航太郎選手だ。入学直後から打者として試合の出場機会を掴み、2年の夏から本格的に投手の練習も開始。わずか1年で驚異の成長を遂げ、進学予定の法政大学では投手としての活躍を目指してる。

 打者として才能を発揮しながら、投手への挑戦を決めた理由、そして今後は投手一本に絞っていきたいと考える理由に迫った。

2年夏の打撃不振を機に投手にも再挑戦


 福岡市立高宮中時代には、中3時に軟式のUー15日本代表に選ばれ、アジア選手権に出場した山城選手。当時から投手と内野手を兼務するスタイルで、中学生ながら身長も180センチ近くあった。

 大きな可能性を持った選手であることは明らかで、当然多くの強豪校から声も掛かったが、その中で福岡大大濠を選んだ理由に三浦 銀二(法政大)の存在を挙げる。

 「U-15代表だけでなく、福岡選抜チームにも選ばれたのですが、三浦 銀さんも過去に選ばれていた繋がりから、福岡大大濠の話しを聞いていました。ちょうど3年生の時に選抜甲子園にも出場して、すごくいいチームだなとと感じましたし、見学に来ると設備や環境もすごく良いなと思いました」

 いざ入学すると、春の福岡地区大会から出場機会を掴み活躍を見せる。
 中学時代は「ライナー性の打球や単打を打つタイプ」だったと振り返るが、入学直後から本塁打の数も増えた。

 入学から2年夏までの、約1年4ヶ月の間に放った本塁打は18本。県内では早くも注目選手となっており、順調に成長しているかに見えた。

 だが、2年の夏の新チーム結成直後から山城は思わぬ不振に陥る。順調に積み重ねていた本塁打は突然無くなり、ヒットの数も激減した。

 「今振り返ると、体が突っ込んで打っていたのかなと感じています。もう少し後ろに体重残す意識を持っていれば良くなったのかなと思います」

 ちょうど同じ時期に、八木啓伸監督から投手もやってみないかという打診も受けた。
 野球を様々な角度から見て勉強できるように、そして基本的に2ポジションできるように選手たちに薦めているという八木監督。山城選手は中学校時代に投手をやっていたこともあり、プレーの幅が広がればと考えたのだ。

 「私が考える彼の一番のウリは、肩の強さだと思います。その肩を一番活かせるポジションで、次のステージで勝負してくれたらいいなと考えています」(八木監督)

 元々、投手にも一度挑戦したいという思いは山城選手にもあった。
 不振脱出のヒントにもなればと考え、チームメイトの山下 舜平大投手や深浦 幹也投手に遅れながらも、投手としてのトレーニングも開始した。