奈良にいた強肩強打の逸材!通算32本塁打・土井翔太(郡山)の土台は中学時代にあった!【前編】
「打てる捕手」
多くの球団が毎年ドラフトで獲得したいと考える選手の1人ではないだろうか。2019年ドラフトで言えば、中日・郡司 裕也(仙台育英出身)や千葉ロッテ・佐藤 都志也(聖光学院出身)が当てはまるのではないだろうか。
そして2020年も関本 勇輔(履正社)や牧原 巧汰(日大藤沢)が高校生ではそのタイプだろうが、奈良の郡山にいた高校通算32本塁打の土井 翔太も肩を並べる存在だ。
内から捌くスイングが高校での活躍に繋がった
土井翔太(郡山)
最高成績は2年生の春の近畿大会ベスト4。甲子園の経験はないが、遠投105メートルの強肩を活かした二塁送球は1.79秒をマーク。高校通算32本塁打を誇るバッティングは、使い始めて僅か3か月という木製バットでも快音を連発する。
まさに逸材と言っていい土井は、4つ上の兄の影響で5歳から軟式野球の平野パイレーツで野球を始める。始めたばかりのころはライトが多かったが、小学校へ入学するころにはセカンドを中心に内野全般を守るようになり、小学6年生からキャッチャーも始めた。
そして大好きだったと本人も語るバッティングは「来たボールに対してとにかく思い切り振っていました」とフルスイングを信条に上位を打たせてもらうことが多かったとのことだ。
中学へ進学すると、土井は部活動ではなく硬式野球の郡山シニアへの入団を選ぶ。入団のキッカケを聞かせてもらうと、「当時の監督に誘われて練習を見学に行きまして、レベルは高かったのですが、『レベルの高いところでやりたい』と思いまして、入ることを決めました」と厳しい環境に身を投じたかったことが決め手となった。
ただ軟式から硬式に変わったことで、苦労したこともあった。
「硬式に変わったことで、特にバッティングでは詰まったら手が痛くてしっかりバットが振れませんでした。ただ、そこに関しては徐々に慣れていくことで克服はできました」
ではどういった工夫を凝らすことで、きっちりボールに対して芯で捉えられるようになったのか。
「基本的なことですが、内から外へバットを扱う。つまりインサイドアウトでバットを使えるようになったことと、フルスイングを継続したことで当たったときにヘッドが走るようになって自然と打てるようになりました」
[page_break:あえてゆっくり振って打率を残す]あえてゆっくり振って打率を残す
土井翔太(郡山)
郡山シニアでは土日だけではなく、平日は月・水・金が練習日。土井は練習の時、隙間時間が出来ればネットの前に立ち、それをなぞるようにバットを動かし、最後にヘッドを出す。これをひたすら繰り返したことで、バットを内側から出せるようになり、打撃技術を磨いた。
結果、中学時代は4本の本塁打を記録し、バッティングは自信を深めることが出来た。
一方の守備も郡山シニアで力を付けてきた。元々守備が中心の郡山シニアは、当時からノック中心の練習となっており、「厳しかったです」と土井も苦笑いを浮かべるほど。しかしひたすらノックを受け続けてきたことで、守備力は一気に成長したと実感している。
また捕手としてもコミュニケーションの重要性を知ることが出来た。
「1つ上の先輩とバッテリーを組む機会があったのですが、その時はあまりコミュニケーションを取れていなかったので、何を投げたいのか探り探りで自信のないリードをしていました。ですが、普段からコミュニケーションを取るようになって、どんなボールを投げたいかわかるようになると、息があってきてリードしていても気持ちよかったです」
郡山で打撃も守備も基本を叩きこんだ土井は、高校は郡山を選んだ。その理由は文武両道がポイントとなっていた。
「難しいことですが、勉強と野球を両立させたいと思っていたんです。そのどちらも集中できる環境が郡山にはあったので、進学することを決意しました」
いざ入学すると、環境の変化に戸惑ったが、中学時代に養ってきたバッティングを武器に首脳陣へアピール。一段レベルの上がった高校野球の投手に対しても、「インサイドアウトができていたのが大きかったと思います」と早くから代打での出場機会を獲得。中学時代、通算4本塁打だったが、対外試合2試合目でホームランを放つなど結果を残してきた。
しかし、それだけでは高校レベルの速球や変化球は簡単にはじき返せない。土井は打率を残すために、あえてゆっくり振ることを選んだ。
「バッティング練習をしていて、ボールを捉えきれないと感じましたので、『ポイントに合わせよう』と思ってゆっくり振ったら打率が残せることに気が付いたんです。
どうしてもフルスイングをしてしまうと、速球や曲がりの大きい変化球を捉えきれずに打率が残せない。だから、ゆっくり振る代わりにボールの軌道にレベルスイングでバットを入れてあげることにしました」
こうして土井は高校野球でも持ち前のバッティングを武器に、1年生の夏からベンチ入り。1年生の秋には主力選手としてチームを支え、2年生へ進級した2019年の春に近畿大会へ出場を果たした。
今回はここまで。次回は2年生の春、近畿大会での経験や最後の1年間に迫っていきます。
(記事=田中裕毅)