今年、NPBから注目を集めている大型捕手・古谷 将也。高校通算25本塁打の強打とスローイングタイム1.8秒台の強肩、抜群の俊足で打てて守れて走れる存在として夏の独自大会でも多数の球団から熱視線だった。独自大会優勝を目指して臨んだ今大会は惜しくもブロック準決勝(県4回戦)敗退が決まった。大会前からプロ志望を公言していた古谷はここまでどんな歩みを見せてきたのか。そんな古谷に迫っていく。
シニア日本代表も経験し、高卒プロを強く意識する

古谷将也(成田)
10年以上の野球人生に導いたのは、祖父・亘さんだった。身近に野球をする環境があり、現在、清和大でプレーする省吾さん(銚子商出身)とともに野球を始める。
最初は柔らかいボールでのプレーをしていたが、小学校3年から硬式をはじめ、同時に捕手を始めた。そして中学校では香取シニアでプレー。名門シニアになると、かなり遠方から通うチームもあるが、香取シニアはほぼ地元出身の選手で構成。遠方から通うのは、成田出身で、成田高でもチームメイトになる齋藤 鳳人のみで、本人も認める「田舎のチーム」は全国大会にも出場するようになり、第8回林和男旗杯国際野球大会では優勝に貢献する。
こうした中で、古谷は代表選手になりたい思いが少しずつ沸いていた。まず2年冬には東日本選抜に選ばれ、台湾遠征を経験。この時、主将を務めていた宇野 竜一朗(市川シニアー早稲田実業)と一緒に、「シニアの日本代表に一緒に選ばれるように頑張ろうといわれ、自分も代表というものを意識しはじめました」
そしてセレクションを受験し、アピールに成功し、見事に合格。シニア日本代表入りした。セレクションからレベルの高い選手と交流できた。その1人が148キロ左腕・高田 琢登(静岡商)だった。
古谷は「高田はセレクションの時にボールを受けさせてもらったんですけど、その時からもうレベルが違っていて、これは受かるだろうと思ったら、本当に合格しましたね」
高田とはこの代表入りを機に仲良くなり、今でも頻繁に連絡を取り合っているほどの仲だ。また、多くの選手と仲が良くなった。
シニア日本代表ではアメリカに遠征。今年の高校生を代表する左打者・山村 崇嘉とともにホームステイするなど濃密な経験を積んだ。この世界の経験は古谷を大きく成長をさせた。
「世界の経験もそうですが、周りのレベルの高い選手の実力を知ることができて、自分の実力がまだまだということがわかりましたし、間違いなく視野が広がったと思います」
そして成田に進むきっかけは田宮 裕涼(北海道日本ハム)の存在が大きかった。
「自分の高校選びの基準として、高卒でプロにいくことでした。中学のコーチからは甲子園に行ける学校か、高卒プロの可能性が高まる学校のどちらにいきたいといわれて、即答で高卒プロでいける学校にいきたいと応えました。その中で県外の高校に行く選択肢もあったのですが、田宮さんの存在で成田に行きたいと思ったんです」
いろいろな学校を見る中で、成田の練習試合を見に行く機会があり、古谷が見た試合で田宮が豪快な本塁打を放ったのだ。この一打に古谷の心は大きく動かされた。
「中学生の時、シニアの指導者に『高卒プロを狙える学校に行きたいのか』、『甲子園に行くための学校に行きたいのか』といわれ、僕は即答でプロにいける高校選びをしたいですといいました。その中で成田があって、僕が見た練習試合を田宮さんが豪快な本塁打を放ってレベルが違うなと思いました。ああいう本塁打を目の当たりにして、行くしか無いなと思いました」と成田進学を決断する。