4年ぶりの本指名となるのか?伊藤優輔(都立小山台出身)恩師の教えを胸にNPBの舞台へ駆け上がる!vol.3
近年では2年連続で夏の東東京大会で準優勝に輝いている都立小山台。2014年の選抜で都立高初の21世紀枠に選出されたことが記憶に新しい方も多いはずだ。
その時、マウンドに立ち、強敵相手に堂々たる投球を見せていた伊藤優輔は社会人まで進み、野球を継続。ドラフト候補にまで成長し、2020年は遂にドラフト解禁。勝負の1年を迎えていた。
今回は都立小山台を卒業してからの中央大の4年間、そして現在の三菱パワー野球部での日々。さらに技術論も交えながら今後についても迫っていく。
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最速153キロ右腕・伊藤優輔(都立小山台出身)が都立の星と呼ばれるようになるまで vol.1
リベンジに燃えた2年生の秋。三菱パワー・伊藤優輔(都立小山台出身)が全国デビューを果たすまで vol.2
3度の入れ替え戦はメンタルを強くした
練習中の伊藤優輔(都立小山台出身)
都立の星と称され、選抜出場も経験した伊藤。だからこそ、大学野球で腕を磨くことを決められた。
「甲子園で履正社と戦って、トップと自分の差がわかったことで、高校からプロに行く気持ちにはなれませんでした。あの時にプロ志望届を提出しても、下位指名でした。だったら大学、社会人に進んで上位指名されたかったですし」
こうして中央大の門をたたいた伊藤。全国屈指のレベルの高さを誇り、戦国東都と呼ばれる東都大学野球リーグで1部に所属する中央大。そこで1年生春からリーグ戦デビューと華々しいスタート。2年生からは主戦力として活躍し始めると、3年生は怪我で戦列を離れながらも、4年生の時はチームのエースとなった。
「最初はがむしゃらに投げていましたが、次第に先発が増えましたので、試合に向けての調整は大事になりました。また入れ替え戦はメンタルを強くしてくれました」
伊藤は中央大在学中、3度の入れ替え戦を経験している。「神宮でプレーすることかどうかは天と地ほどの差があります。2部になると、地方球場ですし場所も転々として移動も大変ですし、やりにくいので」と神宮でプレーをすることに執念をもって入れ替え戦を戦い、3度とも残留することが出来た。
トレーナーや投手コーチといった専門知識を持った指導者からの指導を受けたことで、伊藤はメンタルだけではなくテクニックも磨きがかかってきた。ただフォームの抜本的な変更ではなく、変わったのはマインドの部分だった。
「1年生の時は躍動感を大事にしていましたが、勝たなければならないポジションになってきたので、試合を作ることを大事にするようにしました。特に4年生の時は肘に違和感があったので、思い切り投げられなかったので、躱す投球術を覚えられたのは大きかったです」
三振狙いの際どいところを突こうとしてカウントを悪くするところがあったという伊藤。しかし4年生の秋に肘に違和感があったことで、甘いところにも勇気をもって投じる。力は抜くがコースに投げ分ける投球術を身につけることができた。
それに伴って投球フォームも少しずつ変化をしながら中央大での4年間は終わった。
プロに入ればどこ出身も関係ない
伊藤優輔(都立小山台出身)
そして現在は三菱パワー野球部へ入社。2年目を迎えたが、ルーキーイヤーの2019年は都市対抗にも出場し、大会前には大学時代は150キロだったストレートが、最速153キロへ更新した。
ドラフト候補として申し分ないスピードだが、ストレートに自信を持てるようになったのは2019年の11月に日本選手権で対戦したトヨタ自動車との一戦だったとのことだ。
「周りの方からどれだけ『良い』と言われても客観的に見ることが出来ないので、自信を持って投げ込めているわけではなかったです。
ですが、その試合は25球ほど投げて22、23球くらいは真っすぐで抑えることができました。その経験が出来たことで自信を持てるようになりました」
では伊藤はストレートを投げる際にどんなイメージ、そして何を求めているのか。
「スピードももちろんですが、質も良くないとダメだと思っているので、質を重視しています。中学の時に本か漫画で見たのをずっと取り入れていますが、3本の指でボールをつぶすように投げるようにリリースをしています」
また都立小山台時代はスライダーに定評があったが、社会人に入り、カットボールを多投することが増えた。これはカットボールをマスターしたことが大きかった。
「大学時代から使い始めていましたが、武器と呼べるほど自信はありませんでした。ですが、監督からイメージを教わって良くなりました」
真っすぐと同じ握りから少し右側に軸をずらして、少し中指で少し押す形で真っすぐと同じ振りで投じる。それを左打者の胸元へ伸びあがるイメージで投げることで、直角に曲げているとのこと。
これを使うことで、「真っすぐとほぼ同じ球速で少しタイミングずらしたり、芯を外せるので、木製バット相手には大事なボールになっています」と手ごたえを感じていると同時に、ピッチングに幅が生まれたことに効果を感じている。
また取材中に気づいたのが、伊藤は時折1本足で立ってバランスを確認する仕草。この疑問をぶつけると、本人の現在のピッチングを支える大事な要素であることがわかった。
「今は早めにトップを作ってから体重移動をしようと考えていますが、そのためにも軸足でしっかりと立った状態からでないとスムーズに動けないですし、お尻を使って体幹の力を下半身に伝えて地面を蹴れないので、大事にしています」
伊藤がプロから本指名を受けることになれば都立出身では佐々木千隼(都立日野-桜美林大-千葉ロッテ)以来の4年ぶりのことになる。「プロに入れば出身も関係なくなります。社会人出身は1年目から活躍が望まれるので、1年目から1軍で活躍できればと思います」と意気込みを語ったが、先だってプロの世界で戦う同級生に刺激をもらっていたとのことだ。
「甲斐野央(東洋大姫路出身)や上茶谷大河(京都学園出身)、梅津晃大(仙台育英出身)。それに今年は清水昇(帝京出身)がずっと後ろで投げていますが、あのレベルを指標に、自分がどれくらい成長しないといけないか参考にしてきました。
ですので、まだまだだと感じています。伸ばすところは多いですが、自信を持ちながらも慢心せずに行きたいと思います」
最後に恩師・福嶋監督について、「野球は1人でやるスポーツではない。チームで勝つためには何が必要なのかを学べました」とコメントを残した伊藤。
都立小山台を卒業してから6年の月日が流れた。即戦力として成長を遂げた伊藤のところに吉報は届くのか。運命の日はもうまもなくだ。
取材=田中 裕毅