目次

[1]憧れの慶應高等部入学も…
[2]故障続き、同級生に先を越されながらも…


 今年の大学生の右投手としてトップクラスの評価を受けているのが木澤 尚文だろう。最速154キロの速球、140キロ前半のカットボール、スプリットを武器、10月16日現在、57イニングを投げ、76奪三振と三振が奪えるパワーピッチャーとして注目を浴びている。

 そんな木澤はいかにして成長できたのか。それは慶應7年間で培った思考力の高さ。1つ1つの踏み込み具合は他の選手とは比べものならないぐらいレベルが高い選手だった。苦しみを乗り越え、大学球界屈指の豪腕へ成長を遂げた木澤の歩みを振り返る

憧れの慶應高等部入学も…


 まず木澤の歩みを振り返ると、船橋市出身の木澤は小学校2年生のときに野球を始めた。それまではサッカーが好きだったが、体育のドッチボールで投げる木澤の姿を見て同級生から誘われたのがきっかけだ。

 入団して1ヶ月ほどで投手を始め、自分の学年ではエースを務めるほど。そして、小学校6年では千葉ロッテジュニアの試験に受験し、三次試験もある先行を勝ち抜き、見事に選ばれ、優勝にも貢献した。その千葉ロッテジュニアには藤平 尚真横浜―東北楽天)がいた。

 「藤平は投げても打っても凄かったですし、身体能力から他の選手とは違ったことを今でも覚えています」と振り返る。

 そして中学では八千代中央シニアに入団するが、またも逸材選手とプレーすることに恵まれ、今度は坂倉 将吾日大三―広島)がいた。

 「当時、中学生だった自分でも、『こいつはモノが違う』というのが分かるぐらい、すごい選手でした。打っても凄い、スローイングもすごい。高卒プロに行くだろうと思ったら、本当にいきましたからね」

 チームメイトのことを称える木澤だが、木澤自身も、石橋 優稀(山梨学院―福島ホープス)とともにダブルエースとして活躍。ストレートの球速は130キロ台に達していた。慶應義塾では推薦入試(AO入試)として受験。書類選考、面接、集団討論の末、合格が決まった。東京六大学でプレーしたいと思っていた木澤にとってまずその道が近づくためには慶應義塾高等部に入学することを目標に定めた。

 「ずっと東京六大学でプレーすることを希望していたので、そこから逆算して選んだ形ですね。自分が小学校4年生のときに甲子園に出場(2008年)していましたが、他の学校とはプレースタイルが違いますし、坊主ではなかったところに憧れを持って、いざ受験する年が近づいてきたら受けて見たいと思ったのがきっかけです」

 憧れの慶應義塾高等部。自主性を重んじるチームカラーに惹かれて入学したが、最初はカルチャーショックを受け、苦労の日々だった。
「まず自分は自宅から高校まで2時間近い場所にあったため、両親の勧めから学生寮に住んでいたのですが、その暮らしに適応することに苦労しました。

 そして勉強のほうでも、中学校ではある程度の成績は残すことはできていたのですが、高校は全国から僕よりも頭の良い生徒が入学してくるので、勉強についていくのが精一杯。自主性を重んじるチームなので、最初で何をやればいいか分からなくて、つまづいていました。高校時代の最初というのは、悩んで苦しい思い出のほうが強かったですね」


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